この風景、この土地を愛して

2017年春に荒尾に赴任する際、それまでにお世話になった方たちに感謝メッセージをメールで送りました。しばらくして、真壁巌牧師(当時・相愛教会、現・西千葉教会)より、お返事をいただきました。そこには、Google mapで荒尾教会がある場所を調べたら、有明海が見渡せる場所にあることが分かったこと。美しいその風景の中で、土地を愛し、真史くん(牧師になるずっと前からお世話になっているのでこう呼んでくれています)らしく、牧会・宣教の業に励めることをお祈りしていることが、綴られており、とても嬉しかったことを覚えています。

先日、ある面談を園で終えてふと外を見ると、美しい夕焼けが広がっていました。対岸の雲仙や諫早、そして有明海の風景を見て、神さまが創造した「すべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創1:31)と言われた「良さ」が凝縮していることを思いました。そして冒頭の真壁先生からのメールを思い出したのです。随分長いこと、この美しい光景を忘れてしまっていたことを反省しました。

毎年与えられる様々なチャレンジ(挑戦・課題)を前に、この5年間は足し算ばかりでやってきました。特に両園において待ったなしの差し迫った状況が広がる中で、きめ細やかな保育の実現、丁寧な保護者対応、教職員との温かい関係づくりを出来るだけ心がけて来ました。その結果、様々なことが出来るようになったことは事実ですが、どうも牧師・園長・理事長として忙しくなり過ぎています。2022年は、引き算も真剣に検討しなければならないと感じています。 2021年も皆さんのお祈りに支えられました。この場を借りて感謝を申し上げます。

2022年が神さまの祝福に溢れた年となりますように。(有明海のほとり便り no.241)

天国ではなく地獄の中に

先日のニュースで、新型コロナウイルスの影響によって、貧困に陥った子どもたちが世界で「1億人」増えたとありました。とてつもない人数に、想像も尽きませんが、日本における全人口1億2530万の内、15歳未満は1492万5千人なので、おおよそ日本にいる15歳以上の人たちすべてに該当する「子どもたち」が、一気に貧困に陥ったと考えることが出来ます。それが子どもにどのような影響を及ぼすのか、私たちはここで立ち止まり考える必要があります。そして、本当にこのままでよいのか、これで神の国を実現できているのかを振り返りたいと願っています。

この日本でも新型コロナウイルスによる傷は広がっています。特に非正規雇用をはじめとする不安定な雇用環境で職を失った人たちも増えています。自死された女性たちの数も増加しています。そのような中で、札幌北部教会の久世そらち教師(教団副議長)が、ブログに次のように綴られていました。

数十年前、日本基督教団では「職域伝道」を掲げ、労働者の課題を担おうとしていました。そんな中で炭鉱での働きに携わった矢島信一牧師が、芦別で目のあたりにした炭鉱事故を報じ、「地獄化した様相は、炭鉱のみならず各方面で進行している。教会の使命と責任は天国ではなく地獄の中にある」と記しました。いま、まさしく「地獄化した」労働の現場に、教会の使命と責任があることを自覚すべきではないでしょうか。
救い主キリストの到来をまず知らされたのは、夜通し働いていた羊飼いたちであったことを思うのです。

「教会の使命と責任は天国ではなく地獄の中にある」という深いメッセージを、このアドベントのひと時、改めて胸に刻みましょう。(有明海のほとり便り no.240)

『宣教の未来 五つの視点から』

教団出版局より、『宣教の未来 五つの視点から』という本が出版されました。5名の方たちがまったく異なる視点で宣教について論じています。

実は先週教区の委員会があった際に、著者の一人である深澤奨教師(佐世保教会)から近々出ることを伺っていたので、早速読みました。深澤教師は「教会のダウンサイジングと持続可能性」というタイトルで、九州教区教会協力委員会(教会同士の互助を呼びかけ運用する)の働きを通して考えたことを綴られています。

能楽師の話しが紹介されていました。能楽師の世界では、師匠から笛を引き継ぎますが、すぐにいい音は鳴りません。何年も稽古を積み重ねてようやくいい音が鳴るようになります。鼓の革も「この革は今は鳴りません。でも、毎日打ち続けて50年経てば鳴り始め、一度鳴れば600年は使えます」と言われたりするそうです。

これは能の世界のお話しですが、教会においても全く同じだと思いながら読みました。今はまだ良く鳴らない笛や鼓のような教会が、九州にはたくさんあるのではないでしょうか。伝道を始めてから50年経っても、100年経っても、思うような福音の音色を町に鳴り響かせることができない。でも、鳴らないかと言って吹くこと打つことをやめてしまったら、それが鳴り始めることは絶対にないのです。いい音を出すのは100年、いや150年後かもしれません。もしかしたら、わたしたちの代では成し遂げられないのかもしれない。そうであってもあきらめずに、信じて吹き続け、打ち続ける。次の代に引き継いでいく。それができるように互いに支え合い続けるのが、わたしたちの互助の働きだと思うのです。(p.58-59)

荒尾教会のような小さな地方教会が、それぞれの地で福音を高く鳴り響かせる時を信じ、互助献金を捧げていきましょう。(有明海のほとり便り no.239)