小平恵子さん納骨式

小平恵子さんが召されたのは2002年2月でしたから、ちょうど20年が経ちました。わたしは直接お会いする機会はありませんでしたが、教会員の皆さんから、とてもお優しい方であったこと、そして小平先生のお連れ合いとして、荒尾教会はもちろん荒尾めぐみ幼稚園にとって欠かせない大きな働きをして下さったと伺っています。

先日、恵子さんの何か記録が残っていないかと幼稚園に残っている資料を探していると、小平先生の頃に毎年のように出されていた「おもいで」という卒園文集を見つけました。そこに主任としての恵子先生が毎年書かれた卒園児たちへのメッセージが遺されていました。読み進めていく内に、毎年のように繰り返し恵子先生が引用する聖書箇所があることに気づきました。それはヨハネによる福音書15章の箇所で、イエスが弟子たちに向かって「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」と語った箇所です。

1985年3月に卒園した子どもたちに向けて、恵子先生が綴られている言葉が、いまを生きるわたしたちに向けてのメッセージにもなっていました。

強いから、勉強がよくできるから、健康だから、なんでもよくできるから、神さまのお手伝いができるのではありません。小さくても、力が弱くても、困難の中にあっても、イエスさまのぶどうの木に、しっかりつながって、神さまの愛のうちにあるとき、それは、すばらしい原木ができます。
まことのぶどうの木に、しっかりつながって、いつまでも明るいめぐみの光の子であってください。みなさんの前途に、神さまの祝福が、豊かに与えられますように、心からお祈りいたします。

昨日は、小平先生や娘さんご家族と温かい納骨式を行うことが出来ました。恵子さんのように、イエスさまにつながっていきましょう。(有明海のほとり便り no.253)

卒園式を終えて

毎年、卒園式の朝、先生たちが来る数時間前に、園を開け、換気を始めます。礼拝堂でも同じように準備を始めます。まだ誰もいない礼拝堂が本番に向けて祈っているかのようです。この静謐を味わえるのも、牧師園長に許された「特権」;)です。

めぐみ幼稚園の卒園式は少しずつ変わってきています。コロナ禍で対応しなければならないことも合わさって、いわゆる慣例には縛られず、子どもたちの思いを実現していくために工夫が施されるようになってきました。

例えば、壁面の飾り付けも、今回は先生ではなく、卒園児たちがつくりました。卒園式で何を歌うのか、そしてどの順番で歌うのかも、話し合いました。もちろん担任の先生たちも適宜加わりアドバイスしますが、こんなに子どもたち自らが話し合った卒園式は、はじめてです。家庭保育の影響もあり、全員が中々揃わなかった年長きりん組で、準備期間も短かったにも関わらず、自分たちの「名前の由来」もしっかり発表し、歌も大きな声で歌いました。

とりわけ嬉しかったのは、1月に遠方に引っ越したSさんもリモートで参加が出来たことです。コロナ禍がなければ、リモートで繋げるなんというアイディアは思い浮かばなかったはずです。子どもたちも大喜びでした。

卒園児のおばあちゃんが「こんなに温かい卒園式ははじめてです」と語って下さいました。卒園児のHさんは荒尾支援学校へと進学しますが、一年間サポートして下さったY先生が、式後の先生たちとのお茶の際に、「怪我なく過ごせたことが本当によかった。先生方のおかげです。」と涙ながらに話してくださいました。 教会幼稚園として拙い歩みのわたしたちを、確かに神さまが導いて下さっていることを、改めて味わうひと時となりました。(有明海のほとり便り no.252)

3・11から11年

東日本大震災から11年が経ちました。あの大地震・大津波・原発事故がどれほどの悲しみと痛みをもたらしたか、そしてどれだけの涙が流れたか…、毎年この時期になると心がざわつき、落ち込みます。

11日は朝から仙台にある尚絅学院中高で久しぶりに礼拝メッセージを担当しました。宗教部主任の赤井慧さんは、3・11の前からの友人です。

午後2時30分からは東北教区による記念礼拝に参加しました。司会は長尾厚志牧師(仙台ホサナ教会)、説教は関川祐一郎牧師(石巻山城町教会)でした。お二人とも被災者支援センター・エマオにとって欠かせない大きな支えとなって下さった方たちです。

夜には、エマオで出会い繋がったワーカーやスタッフたちとのシェアリングに参加しました。いまも仙台や石巻で被災された方たちを訪問してくれている仲間たちがいました。それぞれの人生を歩む中で、3・11を忘れずに胸に刻み続けている仲間たちがいました。

仙台で過ごした5年間、わたしは本当にささやかな働きしか出来ませんでした。けれどもそれを遥かに超える、深い出会いが与えられたことこそが、神さまからの恵みだったのです。

さて、KとOは仙台で生まれましたが、特にKは仙台の幼馴染Sさんと離れることを嫌がりました。今でも仙台に帰りたがるほどです。そんなKが、小学校からの帰り道、長く休んでいるお友達に手紙を届けていたことを知りました。さらにはそのお友達が返信を持ってKが通るのを待っていたことも。仙台で過ごした5年、荒尾で過ごした5年、そのどちらもが、かけがえのないものであることに気付かされました。 3・11を胸に刻み祈りつつ、いまを生きていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.251)

「ピンクシャツデー」と「みどりシャツデー」

先日、幼稚園では「ピンクシャツデー」に参加しました。2007年、カナダの学校で中3の生徒がピンクのポロシャツを着て登校した際に、上級生から「ホモセクシャル」だといじめられ、たえきれずに帰宅しました。それを聞いた友人たちが、「いじめなんてうんざりだ」と75枚(!)ものピンクシャツをリサイクルショップで買い込み、次の日、学校をピンク色で染めたのです。それが「いじめのない世界」を願うポジティブキャンペーン「ピンクシャツデー」のはじまりです。

キリスト教保育連盟でご一緒している熊本YMCAさんたちのご紹介で2年前から参加しています。今回で3回目ですが、わたしも先生たちもピンク色を着て何だか朝から気分がワクワクでした。Y先生は、年に1回しか着ない(つまりピンクシャツデーのために!)というピンクのパーカーを着てきてくれました。育休中のC先生も、赤ちゃんも一緒にピンク色で来てくれました。

数日後、きりん組へ行くと…、Kさんが緑色の折り紙でみどりシャツをつくり、そこには「みどりシャツデー」と書いていました。Kさんに聞くと、「みんなで美味しいメロンを食べる日」だそうです。子どもが持つ発想力の豊かさに、とっても嬉しくなりました。そして確かな「希望」を感じました。

ウクライナをはじめ世界では子どもたちのいのちが脅かされています。毎日が「ピンクシャツデー」や「みどりシャツデー」となる日を祈り求めていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.250)