小説『らんたん』における宮崎貞子先生の姿

柚木麻子著『らんたん』(小学館)には、荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園の創設者である宮崎貞子先生が出てきます。数えただけで8箇所ありました。特に貞子先生の人柄や信仰が綴られている箇所がわたし達には重要です。

 (1908年頃)「彼女と同じ学年のお貞ちゃんこと宮崎貞子はキッとなって振り返った。『菊さんたら、そんな言い方失礼よ』お貞ちゃんは、最近『小さき弟子の群』に入会したばかりの、最年少ながら河井先生を崇拝している優等生で、英語の成績は学年一番だ。」(p.142)
 (1921年)「お相手の宮崎龍介は、道の取り巻きである『小さき弟子たちの群』の一人、女子英学塾の優等生、お貞ちゃんこと宮崎貞子の親戚であり、道とゆりにとっても近しい存在だ。」(p.235)
 (1934年頃)「お貞ちゃんこと宮崎貞子も教師としてやってきたが、他人にも自分にも厳しい完璧主義は学生時代から変わらず、生徒に早くも恐れられている。」(p.322)
 (1938年頃)「社会運動家の一族で育った宮崎貞子はとりわけ強く反対の意を示した。―道先生、学校の存続は大切ですが、時勢に飲まれて国家主義の側に付いては元も子もないんじゃないですか?」(p.305)
 (1941年頃)「たまたまそれを耳に挟んだらしい、担任の宮崎貞子先生が澄ました調子でこう言った。『道先生はこうおっしゃっています。こんな古く汚く狭い学校に、御真影を置くのは、天皇陛下に失礼にあたります、と。謙遜されていらっしゃるのですよ』みんなそうなんだ、と納得していたが、生徒たちに怖がられている貞子先生の口元に、ほんのり笑みが浮かぶのを邦子は見逃さなかった。校庭の片隅の小さな家屋に年老いたお母様と暮らしている、社会運動家の一族で育ったと聞くこの先生を、邦子は最初から信用していない。」(p.344) 

平和教育を掲げている恵泉女学園が戦争への時勢に飲まれつつも抵抗した側面があり、そこに貞子先生も深く関わっていたのです。(有明海のほとり便り no.264)