朋有り、遠方より来たる、亦た楽しからずや

19日(水)お昼前、新井純牧師(世光教会&世光保育園・京都)と川上信牧師(八日市教会&八日市めぐみ保育園・滋賀)が突然来られ、とても驚きました。新井牧師とは東日本大震災の支援活動を通して、川上牧師とは神学校の教会実習で水口教会・滋賀へ行った時に出会いました。お二人と最後に直接会ったのは、7年前くらいです。お二人とも牧師園長としても長く働いておられます。

聞くと、先日の豪雨で津屋崎教会の聖愛幼稚園に被害があったことを知り、関西から飛行機で問安に来られ、その足で「真史のところに行こう!」とわざわざ荒尾まで来て下さったのです。顔の広いお二人ですから、他にもいくらでも訪問先はあったはずにも関わらず…。とてもとても嬉しく励まされました。

「顔を見るためだけに寄ったから」とすぐに空港に向かおうとする二人を引き止めて、近くのレストランで昼食を共にしました。話題は尽きず、共通の知り合いのことから、牧師園長としての牧会や園運営の悩み・喜び、家族のこと…、とにかくよく食べよく喋りました。これまでも電話などでやり取りはあったのですが、やはり直接顔と顔を合わせて話しが出来ることにまさることはないことも気付かされました。

「精神的にシンドい時も、いつもこいつらがいるから大丈夫」という言葉にハッとさせられました。知り合いの牧師が孤立感を抱えていることを知った矢先でしたし、わたし自身、自分だけで何とかしなければと責任を強く感じていたからです。

必ず「朋(とも)」が与えられていること、傍らにはいつもイエスさまという友が与えられていることに、感謝して歩んでいきましょう。(有明海のほとり便り no.320)

農村伝道神学校

本日は鹿児島にある三教会(川内・阿久根・串木野)合同礼拝へ派遣していただきありがとうございます。荒尾に赴任してからとてもお世話になっている、川内教会の戸田奈都子牧師・日下部遣志牧師からの依頼であったこと、そして元々は農村伝道神学校に関わりが深い三教会で始まった合同礼拝であることを伺い、お引き受けいたしました。

日本キリスト教団の牧師になるには、いくつかのルートがありますが、教団関係の神学校を卒業して、教師試験を受験するのが一般的です。教団立の東京神学大学、認可神学校の関西学院大学神学部・同志社大学神学部は有名ですが、専門学校となる日本聖書神学校(夜学)や東京聖書学校(ホーリネス系)はあまり聞いたことのない方もおられるのではないでしょうか。農村伝道神学校(農伝)も専門学校であり、日本基督教団の中でもとても小さな神学校の一つです。

「農村」という言葉が表しているように、「都市」「中央」「権力」「お金」といったものから、もっとも離れた場(周辺・辺境)での宣教活動を志しています。そのスピリットに共鳴し集まってきた神学生たちですが、全員が卒業して牧師になっていくわけでもなく、途中で違う道を見出していった同級生たちもいました。

卒業生たちは自ずと「個性的」な…というか、芯が一本通っている牧師たち(身近な先輩だと前々任の小平牧師😉)が多いように感じています。他の神学校は同窓会でよく集まったりしているようですが、農伝は良くも悪くも群れません。どこの教区に行っても、何十年も小さな地方教会に仕える先輩たちに出会います。そんな先輩たちが繋いだバトンを、これからどのように引き継いでいくのか、深い感謝と共に大きな課題が残されています。(有明海のほとり便り no.319)

賀川豊彦と荒尾教会

『こころの友』で、わたしたちの母教会である札幌北部教会の久世そらち牧師が、「イエスを愛した人列伝!」というテーマで連載しています。7月号は「賀川豊彦」でした。20世紀における日本のキリスト者の中でも群を抜いて有名な人物です。

労働運動や農民運動で先駆的な役割をにない、生活協同組合運動を推進、関東大震災の支援活動にも携わりました。ベストセラーとなった自伝的小説『死線を越えて』など数多くの著作も知られています。…いっぽう牧師として伝道に力を注ぎ、とくに戦後は全国各地でキリスト教の講演会を開催して何万人もの聴衆を集め、そこから数多くの人々が教会に足を運ぶようになりました。

1948年11月、始まってまだまだ小さな荒尾教会が坪井教会(現・錦ケ丘教会)と共に、秋季伝道集会を開催し、この賀川豊彦を招いたのです。会場は万田炭鉱の講堂であり、十分な広さにも関わらず満員の盛況だったそうです。そこでキリストと出会い、荒尾教会へと繋がり、洗礼を受けた信徒さんたちがいました。園田秀一郎さんと山野一吉さんです。

「草創期に在って」と題し、次のように山野一吉さんが綴っておられます。

神の存在と宇宙についての内容に、すっかりと吸い込まれていった。その後、三晩方(23時~7時)で坑内の仕事をしながら、考えざるを得なかった。2・3日してから、早速荒尾伝道所の門を叩いた。

山野さんの文章は、50周年誌の中で一番短いものですが、だからでしょうか、なおさら自分の胸を打ちました。坑内の深い深いトンネルの中で、まったく新しい世界観、信仰に触れたのです。まさに闇の中で、光を見出したような出来事だったのです。

この証しを、わたし達も繋ぎ、歩んでいきましょう。(有明海のほとり便り no.318)

準備された支援共同体

アメリカ合同教会のアンソニー・ロビンソン牧師が「教会だけが提供している一つのこと(The One Thing Church Offers That Others Don’t」というエッセーをブログにアップしており、興味深く読みました。

もともとはジェシカ・グロースというジャーナリストがニューヨーク・タイムズで連載した「アメリカにおける宗教の没落」シリーズの最後に、他のグループや活動では体験出来ず教会でだけで得られるものがあるとすればそれは「共同体(community)」だと指摘しているそうです。

教会に行く人達がアクセス出来る準備された支援共同体(ready-made supportive community)こそは社会全体にとって有益なものに違いありません。

この意見に対して、アンソニー牧師は同意した上で、つぎのように述べます(一部を抜粋)。

確かに教会は、生まれた時から死ぬまで、その人の人生と共に歩む力のある共同体であり、孤立社会が深刻化する中で、教会はメンタルヘルス(こころの健康)を保つために大きな役割を果たしている。けれども、「共同体(community)」は自然発生的に生まれるものではなく、労力と時間がかかるもの。牧師は教会共同体を作り上げることを求められ、尽力するが、「給料」をいただいている。わたしがいつも驚かされるのは、毎週必ず礼拝に出席し、教会のために労力と時間を割かれている、「安定し、成熟し、いつも気にかけてくれる信徒さんたち(steady, mature, caring lay members of the congregations)」の存在なのだ。

これを読み、荒尾教会だけでなく全国の教会で出会ってきた、各教会で核となる信徒さんたちのことを思い起こしました。「準備された支援共同体」としてのキリストの体を作り上げていきましょう。(有明海のほとり便り no.317)