共に生きる保育

飯塚拓也牧師園長による講演で、学び・気づきを一杯いただきました。

・1匹と99匹の羊のたとえは、マタイとルカで表現が異なる。「悔い改め」は神の愛の条件ではない。
→子どもは神に無条件で愛されている。キリスト教保育においても、「あなたはあなたのままでいいんだよ」と伝え続ける。
・保育とは「ゴールが一律に決まっていない世界を楽しむ」こと。
・竜ケ崎幼稚園では脱・運動会としての「カーニバル」を行っている。「ゴールを一律に定めない」から、その年に何が起きるのかはわからない。やってみないと、わからないからこそ、楽しい。
・「共に生きる保育」として、障がいのある子と障がいのない子が、互いに育て合っている。
・「共に生きる」とは、「はじめから別々の存在と考えない」こと。障がいがあるから入園できないということはない。
・何をするのも一緒に、どうしたら一緒にできるかをみんなで考える。サポートの先生もお世話係ではなく、「みんなと共にすごすために」出来ないことを補助し、出来ることは見守る。
・遊びを基本とする保育、ゴールが一律に決まっていない保育だからこそ、インクルーシブ保育を実現しやすい。

竜ケ崎幼稚園の実践こそが、まさに一人ひとりと丁寧に歩むキリスト教保育であり、荒尾めぐみ・霊泉にとって大きなモデルをいただきました。 また、3回目となる法人職員研修は、はじめての対面で、霊泉幼稚園で行うことができました。来年夏には現園舎を解体する予定ですので、とても貴重な機会ともなりました。(有明海のほとり便り no.324)

『証し 日本のキリスト者』(著・最相葉月)

角川書店から『証し 日本のキリスト者』という本が12月に出版されました。長編ノンフィクションで、北海道から沖縄まで巡り歩き135名ものキリスト者たちから信仰の証しを丁寧に聞き取ったものです。何と1094ページにも及ぶ文量です。カトリック・プロテスタント・正教会・無教会など、教派も様々で、信徒もいれば牧師や神父もいます。

ノンフィクション作家として著名な最相さん自身はキリスト者ではありません。けれども、キリスト教信仰について深い関心を抱き、構想に10年、取材に6年もかけたそうです。読んでいると、その方の声が聞こえてくるような気がするほど吸い込まれ、励ましをいただきます。「証し」ですから、綺麗事ばかりではありません。むしろここまでよく話して下さったと感じるほどに、教会の醜さを含め率直に語られています。

実はまだ半分くらいなのですが…、Hさんという一人のシスターの証しが胸を打ちました。奄美大島で育ったシスターは、村の子どもたちからキリスト者ということでいじめられたそうです。高校を卒業し、神奈川で勤める中で21歳で聖ヨハネ会という修道会に入られます。看護師になるために通ったのが、わたしの地元である東京・東村山にある多磨全生園付属看護学校でした。全生園は国立ハンセン病療養所の一つで、看護学生として星村シスターが担当されたの方がHさんというカトリックの方でした。

失われたものは追いかけない、とも表現されていました。義足になったら、足は神様にお返しした。今あるものに感謝するんだともおっしゃっていました。(p.514)

キリスト者の証しには、わたし達のたよりない信仰の歩みを励まし導く、不思議な力があります。(有明海のほとり便り no.323)

「生き残り」のいのち

先週は札幌に帰省させていただき、ありがとうございます。今回の札幌帰省は義父母との再会はもちろんですが、義理の祖母との再会を願ってのことでもありました。短い時間でしたが、曾孫たちに囲まれた祖母がとても嬉しそうな姿に出会うことが出来ました。

その際に話題になったのが、義理の祖父のことです。わたしがHさんたちと出会う前に召されたので直接お会いすることは出来なかったのですが、明るく活発な祖父は数多くの温かいエピソードを残しています。

そんな祖父が終戦を迎えたのは、沖縄だったと伺っています。

沖縄の「平和の礎」には、沖縄戦で亡くなられた242,046名もの方たちの名前が、国籍問わず刻まれています。刻まれている日本の方たちの中で、最も多いのは沖縄県の149,611名です。その次に多いのは北海道出身者で10,805名の方たちが亡くなっています。次に多いのが福岡県出身者で4,030名となるので、倍以上であり、明らかな偏りがあります。沖縄だけでなく、北海道に対しても差別があったことを示しています。祖父はそのような沖縄戦の生き残りだったのです。

東京の実家で同居していた実の祖母からは生前、畑でB-29に追いかけられて、命からがら助かったエピソードを一度だけ聞いたことがありました。

もし義理の祖父が沖縄戦で亡くなっていたら、Hさんが生まれることはありませんでした。もし祖母がB-29に撃たれていたら、わたしが生まれることはありませんでした。わたし達は、そのような「生き残り」の<いのち>を継ぐものであり、ここにいることは決して当たり前ではないのです。 神さまから託されている、「神の平和」建設の使命を受け止め、祈りつつ平和へと歩んでいきましょう。(有明海のほとり便り no.322)

世界の核弾頭のいま

1945年8月6日(月) 午前8時15分、広島に原爆が投下されました。そして9日(木) 午前11時2分、長崎に原爆が投下されました。その被害・痛みを語り尽くすことは出来ません。

同時に、日本が植民地でなした数えきれない加害の歴史もないものにしてはなりません。この歴史から、わたし達には憲法9条を与えられ、そして「反核」というvisionが与えれました。けれども、現実はむしろそこから遠ざかっています。

長崎大学核兵器廃絶研究センターが「世界の核弾頭データ」をとても分かりやすい図にまとめてくれています。これによると、いま世界には12,520個もの核弾頭が存在し、2022年に比べれば200個の核弾頭が減っているにも関わらず、使用可能な現役核弾頭の数は増えているのです。

「神の平和」を祈り求めていきましょう。(有明海のほとり便り no.321)