「生き残り」のいのち

先週は札幌に帰省させていただき、ありがとうございます。今回の札幌帰省は義父母との再会はもちろんですが、義理の祖母との再会を願ってのことでもありました。短い時間でしたが、曾孫たちに囲まれた祖母がとても嬉しそうな姿に出会うことが出来ました。

その際に話題になったのが、義理の祖父のことです。わたしがHさんたちと出会う前に召されたので直接お会いすることは出来なかったのですが、明るく活発な祖父は数多くの温かいエピソードを残しています。

そんな祖父が終戦を迎えたのは、沖縄だったと伺っています。

沖縄の「平和の礎」には、沖縄戦で亡くなられた242,046名もの方たちの名前が、国籍問わず刻まれています。刻まれている日本の方たちの中で、最も多いのは沖縄県の149,611名です。その次に多いのは北海道出身者で10,805名の方たちが亡くなっています。次に多いのが福岡県出身者で4,030名となるので、倍以上であり、明らかな偏りがあります。沖縄だけでなく、北海道に対しても差別があったことを示しています。祖父はそのような沖縄戦の生き残りだったのです。

東京の実家で同居していた実の祖母からは生前、畑でB-29に追いかけられて、命からがら助かったエピソードを一度だけ聞いたことがありました。

もし義理の祖父が沖縄戦で亡くなっていたら、Hさんが生まれることはありませんでした。もし祖母がB-29に撃たれていたら、わたしが生まれることはありませんでした。わたし達は、そのような「生き残り」の<いのち>を継ぐものであり、ここにいることは決して当たり前ではないのです。 神さまから託されている、「神の平和」建設の使命を受け止め、祈りつつ平和へと歩んでいきましょう。(有明海のほとり便り no.322)