共に生きる保育

飯塚拓也牧師園長による講演で、学び・気づきを一杯いただきました。

・1匹と99匹の羊のたとえは、マタイとルカで表現が異なる。「悔い改め」は神の愛の条件ではない。
→子どもは神に無条件で愛されている。キリスト教保育においても、「あなたはあなたのままでいいんだよ」と伝え続ける。
・保育とは「ゴールが一律に決まっていない世界を楽しむ」こと。
・竜ケ崎幼稚園では脱・運動会としての「カーニバル」を行っている。「ゴールを一律に定めない」から、その年に何が起きるのかはわからない。やってみないと、わからないからこそ、楽しい。
・「共に生きる保育」として、障がいのある子と障がいのない子が、互いに育て合っている。
・「共に生きる」とは、「はじめから別々の存在と考えない」こと。障がいがあるから入園できないということはない。
・何をするのも一緒に、どうしたら一緒にできるかをみんなで考える。サポートの先生もお世話係ではなく、「みんなと共にすごすために」出来ないことを補助し、出来ることは見守る。
・遊びを基本とする保育、ゴールが一律に決まっていない保育だからこそ、インクルーシブ保育を実現しやすい。

竜ケ崎幼稚園の実践こそが、まさに一人ひとりと丁寧に歩むキリスト教保育であり、荒尾めぐみ・霊泉にとって大きなモデルをいただきました。 また、3回目となる法人職員研修は、はじめての対面で、霊泉幼稚園で行うことができました。来年夏には現園舎を解体する予定ですので、とても貴重な機会ともなりました。(有明海のほとり便り no.324)