最相葉月著『証し』は、北海道から沖縄まで巡り歩き135名ものキリスト者たちから証しを聞き取った1094ページに及び大著です。ようやく900ページを越えたところですが、これほどまでに豊かなキリスト者達の姿があるのかと、新鮮な驚きと気づきを与えられています。
何人か知り合いもいました。そんな友人の一人が、京都にある丹波新生教会園部会堂で牧会している宇田慧吾牧師です。わたしが神学生時代に滋賀にある水口教会へ夏季伝道実習に行った際、彼は同志社の神学生として近江八幡にあるアシュラムセンターの寮に住んでいたのです。そして、彼が最初に赴任したのも福島県にある川谷教会で、東北教区で再会しました。
けれども、彼が牧師となっていくまでの道のりは決して平坦なものではなく、紆余曲折がありました。簡単には聞いていたものの、かなり突っ込んで『証し』には書かれており、初めて知るようなことばかりでした。その紆余曲折の原因はおそらく、教会側にあります。日本キリスト教団の教会が旧態然としてしまい、本当に福音を必要な人たちに届けようとしていない閉ざされた姿に、彼は失望するのです。
日本の教会がこれまでの体制で継続できないことは、もうはっきりしています。最後まで一生懸命支えていくつもりですが、あと十年もしたら支える対象がどんどん減って、新しい体制にならないといけないことは目に見えています。そうしたら、ずいぶん風通しはよくなると思います。…十年後、二十年後に必要とされたとき、新しい教会のやり方を実現できるように自分たちがしっかり勉強して、仲間を増やして準備しようとは話し合っています。そう、十年後、二十年後に向けてやっていこうと。(p.960)
この呼びかけに応えていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.327)