大江健三郎著『「新しい人」の方へ』

薦められて手に入れようとしたら絶版になっていて、古本でようやく購入した一冊です。大江健三郎らしいユーモアとあたたかさに満ちたエッセイ集で、とても読みやすかったので、ぜひお手にとってほしい本です。

大江は本を「速読」することではなく、むしろ「ゆっくり確実に読んで、それからの生涯を、本当に本を読む人としてすごすのがいい」(p.181)と語ります。

本を読むための自己訓練は、本当に読みたい本が、ゆっくり読まなければ内容をつかめない場合に、必要になります。こういう本は、ゆっくり読むのですから、なかなか前へ進まない。なにより良くないのは、途中で投げ出してしまうことです。どうしても難しく、読み続けられない時は、もう少したってから、あらためて読む本の箱に入れておくといい。そして、時々トライしてみることです。(p.191)

キリスト者にとってまさに「ゆっくり確実に読む」ことが求められるのは、聖書です。なかなか前へと進んでいきませんが、皆さんと共に読み進めていきたいと願っています。

パレスチナ人思想家であるエドワード・W・サイードとのやり取りも印象的でした。サイードはイスラエルによる強大な支配に対しても、そしてパレスチナ側の「自爆テロ」に対しても反対を言い続けました。

カイロの新聞に載ったサイードの文章にこういうところがあります。…《イスラエルの排外主義と好戦性に対する、私たちの答えが、「共存」である。それは譲歩することではない。連帯を作り出すこと、それによって、排外主義者、差別主義者、そして(たとえばビンラディン一派のような)ファンダメンタリストたちを孤立させることなのだ。》

いまこそ二人の言葉を再読し分かち合いたいと願っています。(有明海のほとり便り no.333)

小中学生の自殺者が過去最多

文部科学省が10月4日、2022年度の児童・生徒の自殺者が411人、前年度比で43人も増えたという調査結果を発表しました。特に小学生は19人、中学生は123人で過去最多、高校生も269人で過去2番目という結果です。

どうしてこのようなことが起こってしまうのか…。原因はもちろん一つではありません。いじめ、暴力、家庭内暴力、教職員による体罰など、様々なことがきっかけとなって自死へと繋がっていきます。けれども原因に関しては、半数以上が遺書を残していないため、多くは分からないのが現状のようです。

文科省も『SOSの出し方教育』を推進したりなど対策を打ち出しているようですが、まだまだその効果が出ていないことも事実です。世界的に見ても、日本は子どもの自殺が特に多い国になっています。

一人一人のいのちが「かけがえのない」ことを、子どもたちと、そして社会全体でもっともっと共有していかなければいけません。そのために、もっと教育(乳幼児・小中高大)に予算を回し、豊かな環境(人的にも物的にも)を造り上げていく必要があると思います。いま政府は軍拡を推し進めていますが、「かけがえのない<いのち>」という視点からも、お金の使い方としても、間違っているのではないでしょうか。

そして、このような子どもたちの現実を目の前にして、荒尾教会として、荒尾めぐみ幼稚園として一体何が出来るのでしょうか。まずは、子どもたちと「あなたは愛されている<いのち>」であることを分かち合っていきましょう。そして、学校でも家庭でもない、もう一つの居場所となるように出来ることを模索していきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.332)

突然の訃報を前に

「A牧師が2023年10月9日(月)に天に召されました。55歳でいらっしゃいました」という訃報を受け取り、呆然としてしまい、仕事に手がつかなくなってしまいました。牧師園長として幼稚園の責任も持ち、認定こども園への移行、そして新園舎建築をやり遂げた矢先でした。しかも、新しい教会の会堂建築も同時に成し遂げたところでした…。

A牧師と初めて出会ったのは、わたしが札幌にいた頃です。当時、A牧師は札幌の教会・幼稚園を牧会されていました。修士2年の冬、悩みに悩んだ末に農村伝道神学校へと行くことが決まった頃に、たしか天皇制・靖国問題を覚える集会が札幌でありました。教団だけでなく、各諸教派そして仏教諸派も集うもので、大きなお寺で行われました。赤いパーカーを着ていったら、みなさんフォーマルな服装で、一人場違いで少し恥ずかしかったのを覚えています。その場に、A牧師が出席されていて、ほとんど仏教関係の僧侶さんたちの中にわたしを見つけると、嬉しそうに話しかけてくれたのをよく覚えています。

A牧師も農村伝道神学校の出身で、わたしが農伝に進学してからすぐに、A牧師も西東京の教会・幼稚園に転任されました。神学校日礼拝などにお招きいただいたり、お連れ合い共々とてもお世話になりました。 北海道に転任されてからは直接お会いする機会はほとんどありませんでしたが、A牧師園長の働きと温かい人柄はいつも胸にありました。あまりにも早すぎる召天に、最も驚き悲しみの淵にあるご家族、そして教会・幼稚園の関係者に癒しがあることを祈ります。(有明海のほとり便り no.331)

99ではなく目の前の一人に

先日、はるばる群馬から荒尾を訪ねてきてくれた、三浦啓牧師園長(桐生東部教会・にじいろこども園)と、様々なことをゆっくり話すことが出来ました。特に、ブレずにキリスト教保育を実践していく歩みから、大きな刺激を受けました。子どもたちはもちろんですが、こども園で働く教職員や、養成校から来る実習生一人一人をとても大切にされ、そこから生まれてきた子育て支援センターの働きの充実に感銘を受けました。

昨年の法人研修で三浦牧師から学んだことを思い起こしていました。あいにくのリモート研修でしたが、「保育観」をテーマにどんなキリスト教保育をわたし達が願っているのか問われ考えました。特に響いたのは次の言葉です。

保育観を大切にするのなら、1/100に届く保育をすること。99を追わない。必ずその1が次第に2、3、10に繋がっていく。良いもの(保育)は必ず伝わる、求められる!

いま少子化の波がどんどん押し寄せる中で、経営責任がある園長・理事長としては新入園児が来てくれるだろうかと不安で一杯です。ただ待つのではなく、インスタグラムやYoutubeなどのSNSを使って積極的に情報を届けてもいます。けれども、中々すぐに成果が現れることでもなく、ジワリジワリというのが現状です。

そんな中で、分かりやすい「〇〇教室」「〇〇式」などへの誘惑は常にあります。けれども、久しぶりに三浦牧師と対面で話す中で、99人ではなく目の前の1人を大切にすることこそがキリスト教保育の原点であること、それを実現してくれている教職員や保護者たちを祈り・支え、このよさを発信していくことが牧師園長の仕事であることを再確認しました。(有明海のほとり便り no.330)

世界宣教の日

日本キリスト教団から、いま9名の宣教師が世界各地に派遣されています。以前に比べると、その人数も減ってきています。教団の中に世界と繋がっていく力が弱くなってきていること、宣教協約を結んでいる世界各教派の力も弱くなってきていることがその一因ではないでしょうか。

けれども、そのような時だからこそ、内に籠もるのではなく、外に開かれていくことが大切です。社会心理学では、集団が過度なストレスにさらされたり、外部情報が入らない閉鎖的な状況においてgroupthink(グループシンク=集団浅慮)が起こりやすいことが指摘されています。つまり、視野が狭く誤った判断をしてしまう危険性が高まってしまうのです。それを防ぐためにも、教団派遣宣教師たちの働きは重要です。

教団宣教師を覚えて「共に仕えるために」という冊子が毎年教会に送られてきます。冊子にはそれぞれの働きの報告がなされ、毎回興味深く読んでいます。その中で直接訪問したことがあるのは、うすきみどり宣教師(台湾長老教会国際日語教会)です。台北を訪問した際、平日夜に行っている「聖書と日本語教室」に友人の柴田信也牧師と参加させていただきました。うすき宣教師と夕食をご一緒させていただき、色々と貴重なお話しを伺いました。

この数年で、日本統治時代に日本語で学校時代を送られた台湾の方々が90代になられました。その世代の台湾人の方々が戦後、日本語使用が禁止されていた戒厳令時代に建ててくださった私たちの国際日語教会は、今年10月に創立50周年を迎えます。…日本統治時代の方々とできるだけ長く一緒に祈りや讃美の時が持てますように。

世界各地に使わされている宣教師の働きを祈りに覚えていきましょう。(有明海のほとり便り no.329)