doing ではなくbeing

金曜日にらっこ組(0歳児)のクラス参観を行いました。現在5名の子どもたちが通っていますので、参加した保護者の数も多くなく、とても落ち着いて行うことが出来ました。そして保護者懇談会では、我が子のストレングス(素敵なところ)を出し合うワークを行いました。すると、あるお父さんが「存在がかわいい」と言われた言葉が、とても心にしみました。

まったくその通りなのです。らっこ組の5人の子どもたち一人ひとりが、そこにいるだけで、たまらなく愛おしくなります。らっこ組の子どもたちだけではありません。めぐみ幼稚園に通う子どもたち一人ひとりに、わたしだけでなく教職員皆が愛おしさを感じています。何をするにしても、無性に愛おしさを感じるのですから、「doing(何かを出来る・出来ない)」とはまた別の次元で感じていることが分かります。むしろ「being(存在・あること)」です。荒尾めぐみ幼稚園が本当に大切にしたいことも、この「being」に尽きます。「生まれてきてくれてありがとう」「今日も会えて嬉しい」。この温かい思い・祝福が、園生活においても満ち溢れるものであってほしいと願っています。なぜなら、先週の川島教師の子どもメッセージにもあったように、神さまは一人ひとりを素晴らしい作品として、かけがえのない命として祝福されているからです。わたし達人間が抱く愛情はとても不確かなものですが、神さまの愛は永遠に揺らぐことがありません。この「神の愛の土台」に立ち続けていきたいと願っています。けれども、日本のキリスト教園を含む保育業界では不適切保育が尽きません。この課題について、キ保連の園長研修で学んだことをいま先生たちと分かち合っています。(有明海のほとり便り no.388)