日本では当たり前のように行っている「運動会」ですが、そもそもなぜ行うようになったのかは常に考える必要があります。
1870年代に海軍兵学寮で「競闘遊戯会」として、軍事教練の一環として取り入れられていきました。身体を「兵隊化」させていくためのものだったのです。「運動会」だけでなく、様々な遊具にもその名残があります。例えば雲梯も、もともとは攻城兵器であり、自然社会にはあのように正確な距離で握り手があることはありえません。
そのような視点から「運動会」や「遊具」を考える時に、いま露骨に使われることはないにしても、簡単に「軍事教練」としての意味合いを帯びてしまう点には気をつけなくてはなりません。キリスト教園として「神の平和」を祈り・願っていますから、子どもたちを誰一人としても戦争に送りたくはありません。
それでは、いまなぜ幼稚園で「運動会」をしているのでしょうか。大きな目的の一つは「子どもたちの育ち」を、子どもたち自身・保護者・教職員みんなで分かち合い、喜び合うということです。けれども、ここでも気をつけなければならないのは、保護者「だけ」のための「運動会」ではないという点です。ともすれば「保護者からの見栄えをよくする」という点を強調し「練習」にのみ力を入れてしまいがちです。すると、子どもたち自身で考え・模索し・遊ぶといった肝心なプロセスがどこかへ行ってしまい、「大人中心の運動会」になってしまうのではないでしょうか。
昨年から「運動会」ではなく「めぐフェス」に名称を変えました。大きく園庭も変わっていますが、あえて同じ園庭で行います。普段の遊びと同じ地平で、子どもたち自身が心・身体を一杯動かし、楽しい親子行事(フェスティバル)になりますように。(有明海のほとり便り no.280)