講演「水俣病受難者たちとの出会いから『信教の自由』を考える」より

1873年から1948年まで、2月11日は「紀元節」と呼ばれ、初代天皇が即位した記念日でした。学校では、日の丸掲揚、君が代斉唱、「御真影(天皇の写真)」の前での「教育勅語」が行われました。1966年、旧「紀元節」復古を願った政府によって今度は「建国記念の日」と再び制定されます。

それに抗議して、2月11日を「信教の自由を守る日」として全国各地で様々な集会が行われています。その一つが、熊本地区社会部委員会が準備するものです。今年は、岡田仁牧師(富坂キリスト教センター)をお招きしました。コロナ禍で、オンライン講演となりましたが、とても学び多き時となりました。

岡田先生は神学部を出られた後、5年半ほど水俣で過ごされました。その体験をもとに「水俣病受難者たちとの出会いから『信教の自由』を考える」と題しお話し下さったのです。

水俣病の課題はまだまだ解決していません。あまりにも厳格な認定基準ゆえに、いまも患者として認められていない多くの方たちがいます。岡田先生が神学部夏季派遣で1988年に水俣に初めて行かれた際に、ある未認定患者が次のように言われたそうです。 「…けど、なにも悪かことしとらんとに、なしてこげな目に遭わんならんとかいね」

この一言が胸に刺さり、水俣で生活することを決められたのです。

「活字ではなく、現場にいき、本人から直接聴くこと」「真実は現場にある」「公害と差別は、弱いところに向かっていく」「この世界での神の苦しみに参与することこそが『信じること、悔い改めること』(ボンヘッファー)」「聖書の中で『自由』は『福音』と同じように重要なもの」

岡田先生の一つ一つの言葉が深く響きました。(有明海のほとり便り no.247)

サーバントリーダー

栃木県那須にアジア学院というとてもユニークなキリスト教をベースとした専門学校があります。そこでは、アジア・アフリカ・太平洋諸国の農村地域から学生たちが集まり9ヶ月間共同生活をしながら、有機農業を学びつつ、「草の根」の農村指導者を育てています。宗教も言語も文化も様々な学生たちが集い、まさにタペストリーのような彩りがあります。私が卒業した農村伝道神学校にあった東南アジア科から独立して出来た学校です。アジア学院は総勢57カ国、1361名もの卒業生(いまはもっと多い)を生み出しています。私も何度もワークキャンプに行き、様々な農作業をお手伝いさせていただきました。

そこで私は「サーバントリーダーシップ」という言葉を学びました。トップダウンの権力志向のリーダーではなく、人々に仕える支えるリーダーです。イエス・キリストが弟子たちの足を洗う姿こそ、まさにサーバントリーダーです。

アジア学院の卒業生たちは世界各地で活躍しています。卒業生の一人であるフィリピンからの学生だったMさんは、甚大な台風被害を受けたミンダナオで、伝染病予防のための簡易トイレ設置のためにメガホンを持って走り回ったそうです。この着眼点がすごいと思いました。自分の命だけが助かればいいという発想ではなく、台風水害の後に、人々が被るであろう伝染病を予想し、その拡散を防ぐために、トイレを設置する。

この姿こそが、アジア学院が目指している地域共同体に仕えるリーダー、サーバントリーダーを表わしていると私は感じました。この「サーバントリーダー」という姿を胸に、「神さまファースト」の奉仕をなしていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.246)

2月6日(日)→オンライン礼拝へ

キリストの平和がありますように。

新型コロナウイルスに感染されたお一人お一人に、そのご家族に神さまからの癒やしと守りとがあることをお祈りしましょう。

いまも第6波がものすごい勢いで拡がっています。依然ピークが見通せない状況です。

役員で話し合い、2月6日(日)はオンラインを用いた家庭礼拝といたします。メッセージを山田原野副牧師が担当します。参加されたい方は、荒尾教会までご連絡をいただければ幸いです。

私たちキリスト者の信仰生活にとって礼拝は欠かすことの出来ないものです。たとえ聖書を読むことだけでも、たとえ心の中で祈ることだけでも、神さまは必ず共にいて下さいます。

皆さまに祝福と守りがありますことをお祈りしています。

2022年2月2日 荒尾教会牧師 佐藤真史

白い磔刑

画家のマルク・シャガールは彩り豊かで明るいと評されることが多い画家です。そのような作品群の中に、ぽつんと「白い磔刑」という作品が残されています。1938年11月ドイツではナチスによってユダヤ人の住居、お店、シナゴーグ等が襲撃され破壊されました。「水晶の夜」と呼ばれるこの出来事を描いたのです。

右手に見えるのは放火殺人犯によって荒らされ燃え上がるシナゴーグ。十字架の上には、旧約聖書に登場する人物たちが嘆きの声をあげています。十字架上のイエスが腰に巻いているのは、ユダヤ教徒が祈りに用いる縞の入ったコートです。足元には、ユダヤ教の燭台が置かれています。そして、イエスの頭上には「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」という罪状書きが、ヘブライ語で書かれています。

シャガールは十字架に架かるイエスを通して、迫害の対象とされたユダヤ人たちの苦しみや嘆きを描きました。シャガール自身はユダヤ教徒ですから、イエスを救い主=キリストと信じ告白していたわけではありません。しかし、イエスを同じユダヤ人として徹底的に苦しみ十字架を負われた偉大な先達として描いたのです。

私たちがイエスをキリスト(救い主)だとメシアだと告白する時、それはこの苦しみを一気に解決するような「大どんでん返し」をもたらす存在ではなく、共に苦しみ重荷を負う存在として、まさにこのシャガールが描くイエスこそが、神の救いを指し示す存在だと告白したことを胸に刻みましょう。(有明海のほとり便り no.245)

30日(日)→家庭礼拝へ

キリストの平和がありますように。

新型コロナウイルスに感染されたお一人お一人に、そのご家族に神さまからの癒やしと守りとがあることをお祈りしましょう。

いまも第6波がものすごい勢いで拡がっています。依然ピークが見通せない中で、園でも家庭保育協力を呼びかけ、感染対策しつつ過ごしています。園関係者にも濃厚接触者の方たちも出てきている中で、予断を許さない状況が続いています。

役員で話し合い、1月30日(日)を再び家庭礼拝といたします。どうぞ週報をご活用下さい。

2月6日(日)に関しては、少人数でも山鹿教会との合同礼拝を執り行う予定です。役員会に関してはこれからの感染状況を鑑み判断していきます。

先週の週報が主日までに届かなかったお宅があると伺っています。大変申し訳ありません。今回は無事届くことを願っています。

私たちキリスト者の信仰生活にとって礼拝は欠かすことの出来ないものです。たとえ聖書を読むことだけでも、たとえ心の中で祈ることだけでも、神さまは必ず共にいて下さいます。

皆さまに祝福と守りがありますことをお祈りしています。

2022年1月26日 荒尾教会牧師 佐藤真史

福音の息吹(プネウマ)

2018年9月に生まれてはじめて奄美大島を訪問しました。到着した初日、田中一村記念美術館を訪問しました。絵画に疎い私は、「田中一村(1908~1977)」という名をその時、初めて知りました。水墨画の神童としていち早く活躍した一村でしたが、日本画へと画風を変えてからは、苦労と挫折が続き、亡くなって10年が経ってからようやく再評価され「日本のゴーギャン」とも呼ばれています。

国立療養所奄美和光園内にある和光伝道所も訪問しました。先述の田中一村は、奄美和光園との出会いの中で、近くにアトリエを構えたそうです。名瀬教会の青山実教師から、今は年数回の礼拝を守るのみと説明を受けながら伝道所に入ると、部屋に射し込む光、椅子の並び、講壇、その一つ一つが目に焼き付きました。<ここ>にある福音・恵み。確かに礼拝が守られていた息吹(プネウマ)…。

瀬戸内海にあるハンセン病療養所・大島青松園の教会に通っている、シンガーソングライターの沢知恵さんの言葉を思い出しました。

私はそこの礼拝が大好きだったので、行く度に勝手に掃除をしていたんです。建物は使わないと痛みますから。そうしたらね、掃除機をかけていてふっと振り向くと、天国に行ったはずの入所者の方々がいるんです。えっ!と思って、心臓がドキドキして。私こういう話は苦手で、経験したことなかったんですけど。それで、「あぁ、私はここで礼拝をしたいんだ。お掃除じゃなくて、神様を賛美をしたい、祈りたい、み言葉を聴きたいんだ」と、分かった瞬間だったんです。

本日は家庭礼拝という形になりましたが、同じ神さまの息吹が、各家庭にそして教会に吹いていることを信じています。(有明海のほとり便り no.244)

23日(日)→家庭礼拝へ

キリストの平和がありますように。

新型コロナウイルスに感染されたお一人お一人に、そのご家族に神さまからの癒やしと守りとがあることをお祈りしましょう。

いま第6波がものすごい勢いで拡がっています。熊本県における「まん延防止等重点措置」適用が決定し、園でも急遽家庭保育を呼びかけています。

役員で話し合い、1月23日(日)を家庭礼拝といたします。

来週以降の礼拝については、また追ってお知らせいたします。

私たちキリスト者の信仰生活にとって礼拝は欠かすことの出来ないものです。たとえ聖書を読むことだけでも、たとえ心の中で祈ることだけでも、神さまは必ず共にいて下さいます。

皆さまに祝福と守りがありますことをお祈りしています。

2022年1月20日 荒尾教会牧師 佐藤真史

16日(日)→家庭礼拝へ

新型コロナウイルスに感染されたお一人お一人に、そのご家族に神さまからの癒やしと守りとがあることをお祈りしましょう。

いま第6波がものすごい勢いで拡がっています。急遽本日の主日礼拝を家庭礼拝に切り替えました。

当日のお知らせとなってしまい大変申し訳ありません。

私たちキリスト者の信仰生活にとって礼拝は欠かすことの出来ないものです。たとえ聖書を読むことだけでも、たとえ心の中で祈ることだけでも、神さまは必ず共にいて下さいます。

皆さまに祝福と守りがありますことをお祈りしています。

2022年1月16日 荒尾教会牧師 佐藤真史

『人新世の「資本論」』

冬休みに積ん読していた本に、ようやく手を付けることが出来ました。その一冊が斎藤幸平著『人新世(ひとしんせい)の「資本論」』です。2020年9月に発行されて以来、すでに40万部を突破したベストセラー書籍で、新書大賞2021を受賞しました。いわゆるベストセラーにはあまり関心がないのですが、マルクスの『資本論』についてであり、知り合いからの紹介もあり購入していたのです。新書なのでページ数はそれほど多くはありませんが、一つ一つのトピックが新鮮で深く、読み込むのに時間がかかりました。

「人新世」とは「人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代」(p.4)を指します。産業革命以降の目覚ましい経済成長が生みだしたこの「人新世」で飛躍的に増えた二酸化炭素が、地球温暖化などの気候変動を巻き起こしています。それはもはや無視して通り過ぎることは出来ず、むしろいますぐに対応しなければ、「人類」全体の存続の危機にさらされているのです。この気候変動への対応として「SDGs(持続可能な開発目標)」を国連などは掲げていますが、著者はそれでは対応として不十分であり、むしろ手遅れになることを指摘します。そして、対案として著者はマルクスの『資本論』を参照するのです。しかも、ここが特に大切なのですが、これまでのマルクス主義の焼き直しではなく、「150年ほど眠っていたマルクスの思想のまったく新しい面を『発掘』し、展開」(p.7)していくのです。それが、中国や旧ソ連の共産主義とはまったく違う、「脱成長コミュニズム」という晩期マルクスが到達したものでした。

資本主義はもはや限界に来ています。その只中で、神の国を建設していくために、様々な知恵を集め、祈りを集めていく必要があることを、この本を読んでつくづく考えさせられる冬休みでした。(有明海のほとり便り no.242)