Streak Running

2022年1月8日(土)にBと二人で始めたstreak runningが、昨日2023年1月7日(土)で「365日」に到達しました!アメリカで広まっているのを知って始めたstreak runningのルールはすごくシンプルです。

◯とにかく毎日(雨でも風でも)
◯歩いてもOK(タイムでもスピードでもない)
◯1マイル(1.61km)➡︎約10分でいい ※もっと走ってもOK

大雨ではカッパを着て、体調不良でも誰にも会わないコースを二人でウォーキング…というかお散歩をしました。不思議と家よりも饒舌に喋ってくれます。出張や修学旅行の際には、それぞれの場所で行いました。

寝不足でも朝ランは、頭と身体をリセットしてくれるので大変おすすめです。10分というあっという間の時ですが、毎週の週報に載せている「今週の祈りの課題」を覚えて、走りながらお祈りもしています。どうもわたしには、このようなお祈りの仕方が合っているようです。

ここまで継続できたのも、「無理をしなかったから」の一言に尽きます。そして、タイムや距離などの「大きな目標を立てなかった」ことも大切なことでした。ご褒美を楽しみにしていることも大切かもしれませんが(^_-)

わたしたちの信仰生活においても、同じことが言えるのではないでしょうか。神の国が来ますようにと祈りつつ、調子がよければ走り、調子が悪かったり環境が整わなければ歩き、神さまにタイムや距離などの成果は委ね無理せず楽しみながら、一歩ずつ歩んでいく。逆風でも、大雨でも、病の時でも、明け方でも、夜中でも…。

2023年の信仰生活が守られ導かれますように、お祈りしています。(有明海のほとり便り no.293)

寿越冬

2023年が始まりました。「神の国」「キリストの平和」が、この荒尾の地で、九州で、日本で、そしてウクライナやミャンマーをはじめ世界で実現することを切に祈ります

横浜中華街の裏に寿町と呼ばれる日雇い労働者の町があります。年末年始には、様々な公共サービスが閉じる中で、路上生活のホームレスの方たちや、貧困の中で歩む方たちの年越しを支えるために「寿越冬闘争」があり、炊き出しや相談、夜間の安否確認を兼ねた路上での訪問活動などを行っています。コロナ禍で感染対策が必要な中にも関わらず、まさにこの年末年始にも行われています。まさにいま寒さの中で<いのち>を削られている方たち、孤立している方たちを覚えて祈りましょう。また、そこに集われているボランティアの方たちやコーディネートされる実行委員の方たちのことも覚えて祈りましょう。

日本キリスト教団では神奈川教区寿地区センターがこの越冬活動を担われています。数年前までは、わたしや原野先生と同じ農村伝道神学校出身のM教師が主事として長く働かれておられました。不思議なことに、越冬活動に参加すると、M教師はじめ多くの教会関係者がそこにはおられるのですが、他のボランティアの方たちとすっかり溶け込んでおられるので、最初はまったく気付かないのです。少しずつお話しをしていく中で、初めて知らされ驚くことが多々ありました。そして、大学生たちや医療従事者の方たち、多くのボランティアの方たちの働き・願い・祈りに頭が下がる思いでした。

何よりも印象に残っているのは、寿地区に生きる方たちとの出会いです。たくましさや知恵に教えられ、ユーモアにみんなで笑い…。決して楽ではない、むしろ辛い現実の中だからこその出会いでした。(有明海のほとり便り no.292)

関田寛雄牧師を覚えて

12月14日、関田寛雄牧師が94歳で召天されました。青山学院大学で教えつつ、桜本教会川崎戸手教会の創立に尽力し、神奈川教区巡回教師として、全国の諸教会・伝道所を支えておられました。何よりも出会いと現場を大切にされ、在日コリアンの人権回復運動や「日の丸・君が代」強制反対運動、平和運動など、関田先生の働きの幅はとても広く深いものでした。

巡回教師として、神奈川教区の中でも礼拝出席が少ない教会・伝道所の主日礼拝にそれぞれ出席し、励ましておられることを聞いていました。わたしが農村伝道神学校の最初の2年間を過ごしたまぶね教会も、関田先生に無牧期間を支えていただいた教会の一つです。父が関わる「全国キリスト教学校人権教育セミナー」にも、関田先生が必ず出席して下さっていました。

4年前にお招きした金性斉牧師(NCC総幹事)が、関田先生と韓国で開催された「日韓の和解と平和を求める祈祷会」に一緒に参加され、その時のことをFacebookに綴っておられます。

祈祷会を後にするとき、空港まで車で送ってくれる信徒に急かされていた私は関田先生に申し上げた、「先生、今出なければ飛行機に間に合いません」…関田先生は「平和の少女像の前で祈っていきたいんです....わたしはもう二度とここに来れませんから....」  私たち(名古屋の大島純男先生と共に)はそのようにしてあの日“平和の少女像”に立ち寄り祈りました......関田先生に導かれ間に合わない時間とはならなかったのです。

写真の中央で跪いて祈っておられるのが関田先生です。いま政府は軍拡と「愛国心」を強引に進めようとしていますが、神の平和と和解を祈り求め行動された、先生の歩みに倣っていきたいと願います。(有明海のほとり便り no.291)

児童虐待事件を巡って

静岡の園で起こった、1歳児への児童虐待事件はマスコミでも大きく取り上げられ、3名の保育者が逮捕、園長が市から告発されるという事態にまで発展しています。具体的な虐待行為は15にも及び、どれも子どもの心を深く傷つけるものです。保育現場であってはならないものばかりで、心を痛めています。被害を受けた子どもたちの癒やしを祈りましょう。

よく園内研修で引用する本の著者である高山静子先生(東洋大学)が、この事件を受けて「保育者の不適切な関わりをなくすために」という文章をご自身のブログに投稿されています。

親はたった一人のわが子に声を荒げ手を上げることがあります。乳幼児期の子どもと関わることは、誰がやっても難しいのです。保育者は、その難しい年齢の子どもたちを集団で保育をします。1歳児クラスの基準は、子ども6人に対して保育者1人です。1歳児の三つ子、五つ子を一人で育てられる親がいるでしょうか?保育は、いい人レベルでできるような簡単な仕事ではありません。
…就職してから子どもとの関わりの技術を園内研修で学べる園はごく少数です。そうでない園に就職した場合には、個人の人間性で対応するしかありません。そのためどの園でも不適切な関わりが起こる可能性があります。
保育者の関わりは、専門性として身につけるものであり、高めることができるものです。不適切な関わりをしてしまう保育者は、知らないだけ、技術を身につける機会がないだけです。

園内研修で、改めて子どもたちへの不適切な関わりについて学び、あたたかい声かけと子どもたちの楽しい声に満ちたキリスト教保育を作り上げていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.290)

横野朝彦牧師をお迎えして

実に5年8ヶ月ぶりの再会となりました。神学校で過ごした3年間、本当にお世話になった恩師でしたので、このような機会を与えていただき、心より感謝です。礼拝説教では、久しぶりの「横野節」を堪能することが出来ました。声はもちろん何よりも内容が毎回よく練られ、惹きつけられるものとなっており、一人の説教者として新たに学ばされる思いでした。

そしてお昼を挟んでから「間口や軒をゆったりと」と題して講演をして下さいました。これからの地方教会についてのメッセージをとお願いしました。住宅地や街中にある教会を歴任された横野先生にとっては難しいと言われていたのですが、実に深いアドバイスと指針をいただきました。

・教会は蛸壺のようになりがち。閉鎖的になり、変化に耐えることが出来なくなる。
・教会が人と本当に出会い繋がるのは「現場」。神学論議ではない。
・牧師も教会に閉じこもっているのではなく、できるだけ現場へ出かけ、教会も喜んで送り出しあげてほしい。悩みが自分だけではないことに気付かされる。
・ナザレのイエスこそ辺境に生きた人。ガリラヤは汚れた土地だった。
・辺境において人は「祈り、労働、時間、自然、静寂、忍耐、沈黙、献身そして正義」を取り戻す。
・番町教会の建築方針を「Open for All」とした。きょうかい(教会)の内に外に、きょうかい(境界)をつくらない。
・東八幡キリスト教会(バプ連)は同じ建築家で建築する際に「軒の教会」を目指された。色々な人が雨宿り出来る場所となるために。
・荒尾教会の関係人口(定住でも交流でもなくその地域に興味があり関わっている人たち)を増やしていこう。

荒尾教会の77年目の歩みが開かれたものとなっていきますように。(有明海のほとり便り no.289)

創設者・宮崎貞子先生を覚えて

荒尾教会がこの地に建てられて76年が経ちました。礼拝出席約10名の小さなわたしたちが、荒尾めぐみ幼稚園と共に今日まで歩んでこられたことに、神さまからの不思議な守りと導きを感じています。

大きな反響を呼んだ小説『らんたん』には、荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園の創設者である信徒・宮崎貞子先生が出てきます。そのことを折りに触れて、Facebookで紹介すると、思いがけないところでの繋がりを知りました。

知り合いのKさんからはこんなコメントをいただきました。

「実は宮崎先生は美竹教会でもご一緒で、個人的にはわたしの英語の家庭教師もしてくださいました。帰国したばかりの河井先生の思い出話を聞いたこともあります。寮の一間廊下を歩く河井先生のドレスの衣擦れの音に、ワクワク胸を躍らせたというエピソードは、どこか市川房江を思わせるツイードのスーツ姿のカッチリした宮崎先生にも、そんな娘時代があったのだなと、今でも忘れられない思い出です。」 ※恵泉女学園創設者の河井道先生のこと

独立学園高校時代の恩師・今野和子先生からも。

「宮崎貞子先生!私が恵泉に入学した1946年、まだ恵泉にいらっしゃいました。河井寮でお食事ご一緒でした!間もなく恵泉を辞されたので、その後のことは全く知りませんでした。荒尾教会の礎を作られたのですね。その教会を今、真史さんが牧会している?!神様のみ手の中で時空を超えてつながっている不思議さ!

わたしがK先生にお世話になったのは、25年ほど前。そして今野和子先生が貞子先生に恵泉でお世話になったのは76年前。誰一人としてこのような繋がりが生まれるとは、思いもしませんでした。神さまの不思議な導きとしか言えない出会いに心震える思いです。この地で、これからもイエス・キリストの福音を分かち合っていきましょう。(有明海のほとり便り no.288)

横野朝彦先生をお迎えします

76年前、一人の信徒・宮崎貞子先生の祈りと働きによって始まった荒尾教会。礼拝出席約10名の小さなわたしたちが、荒尾めぐみ幼稚園と共に今日まで歩んでこれたことに、神さまからの不思議な守りと導きを感じています。

心からの感謝を込めて次週創立76周年記念礼拝を行います。

講師として横野朝彦(ともひこ)牧師を岡山からお招きします。農村伝道神学校1年の終わりに結婚し、住居を探していたわたし達に、横野先生や番町教会が快くお部屋を提供して下さり、以来卒業までの3年間公私共々とてもお世話になった恩師です。

人生で一番貧しかった神学生時代。千代田区という東京のど真ん中で、大きなビルや高級マンションなどに囲まれ暮らすことになり、その生活水準のギャップに戸惑うことも多々ありました。しかも2年目の終わりには橅も与えられ…それにも関わらず、なぜかとっても「豊かな」日々でした。

毎週のように教会員さんたちから、あれやこれやと差し入れをいただきました。絆奈さんの妊娠が分かったら、ほぼ毎回病院まで車で送迎し付き添って下さる方も。橅が生まれてからは、沢山のお祝いに加えて、ますます支えていただき…当時の橅の栄養源は99%番町教会でした。横野先生にも礼拝説教の機会などもよく作っていただいたり、食事をご馳走していただいたり、番町教会時代の思い出は尽きません。横野先生は番町教会の移転・新築というとても大きな働きを成し遂げられ、退任されました。

わたし達が番町教会を離れてから11年になりますが、お世話になった方たちの中には、この間に召天された方たちが何人もおられます。感謝を込めて横野先生をお迎えしたいと願っています。(有明海のほとり便り no.287)

按手礼式

本日、山田原野教師が按手礼式を受けられます。普段の教会・園業務に、園舎建築への働きが加わり多忙を極める中で、さらに正教師試験が重なりました。その準備はとても地道で忍耐を要するものです。倦まず弛まず最後までやり切った原野先生に、そして山鹿教会に心からのお祝いを送ります。これからの牧師としての歩みが守られ導かれることを、祈りましょう。

「按手」とは頭に手を置いて祈る所作のことです。日本キリスト教団においては、正教師が志願者の補教師の頭に手を置いて祈り・祝福し、新たに正教師としての歩みへと遣わすことを意味しています。また、正教師になることによって、はじめて聖礼典(洗礼と聖餐)の執行が出来るようになります。これは「教規」という教団ルールブックの第104条に定められています。

わたしは東北教区で受按しましたが、なぜ正教師を志願するのかと教区面接で問われた際、小さな地方教会での宣教に資するようにと答えました。いずみ愛泉教会が属する宮城北地区の教師たちで、T教会の礼拝説教応援に行っていました。山鹿教会と同じくらいの規模で、幼稚園もある教会です。わたしは、いずみ愛泉教会の副牧師で主任ではなかったので、数ヶ月に一度は担当させていただき、礼拝後1時間半かけて車で向かったのです。その奉仕を通して、聖礼典執行の必要性を痛感していました。

ただし、この「補」教師と「正」教師という区分は、戦時中の政府の圧力によって合同した際の産物であり、同じ教師でありながら補教師は聖礼典を行えないという現行の制度は、歴史的にも万人祭司というプロテスタント神学的にも大きな矛盾を抱えています。九州教区もこの課題に真摯に取り組み、教団総会で問題提起を続けています。また、あえて「補教師」に留まり続けている牧師たちもおられることも覚えていきましょう。(有明海のほとり便り no.286)

召天者記念礼拝

荒尾教会では毎年11月第1主日を召天者記念礼拝としています。召天者を記念する意味について、札幌北部教会が冊子『葬儀について』を出されており、とても参考にしています。

一般的に仏教では葬儀の後、一定期間ごとに法事などを行いますが、キリスト教には、そのような取り決めはありません。仏教においては法事を通して、死者が仏となるように祈り・礼拝するという意味が込められています。けれどもキリスト教では「死者についてはいっさいを主なる神にゆだねるのであり、法要や供養といった人間の行うわざによって死者の死後のありかたを定めようとするのは、信仰に反する」と考えます。

ただしそれは、死者を忘れ去ってよいということではありません。「主なる神が命を与え恵みをもって導いた、かけがえのないひとりの人の生涯の歩みを振り返り、そこに現れた主の御手の働きに心をむけ、わたしたちの信仰の励みとするために、故人の生涯を思い起こす記念の機会をもつことは、ふさわしいこと」であり、教会が召天者記念礼拝を持つ意味はここにあります。

それだけではありません。特に家族の死という大きな喪失によってグリーフ(悲嘆)を経験している方たちにとって、この喪失と共に生きるためのグリーフワークとしても大切な時だと考えています。ですから、もし許されるならば、ぜひご家族で記念礼拝や墓前礼拝に参加していただければと願っています。

また、このグリーフワークはご家族だけでなく、教会=共同体にとってのグリーフワークでもあります。「主の名のもとに集う共同体が、故人の信仰の生涯によって証しされる主のみことばを聞いて、希望と慰めを見出す」時としていきたいと祈っています。(有明海のほとり便り no.285)

子どもの命を活かす教育とは

先日、文科省から2021年度一年間における日本の小・中学校における不登校児童生徒数は、244,940人だったという調査結果が出されました。2020年度に比べると48,813人も増加していることが分かりました。他にも、いじめの認知件数は小学校において増加しています。自死した小中高生の数は368人でした。ここには数では到底推し量ることの出来ない、痛みがあります

インターネットの記事で、中学時代不登校となったAさんの体験談が載っていました。Aさんは勉強も部活も頑張る中学生活だったのですが、ある日突然、朝布団から出ることが出来なくなりました。

「最初の頃は『学校に行かせないと』という思いが強くて、怒ったり泣いたり。今思えば言わなくていいことを沢山言ってしまった。学校に行かないとどうなるのかなって…」
不安と焦りがあった。布団をかぶって部屋から出てこない息子について、専門の医師に相談。返ってきたメッセージにハッとした。
「これ以上子どもを追い詰めて、果たして来年まで生きていてくれるでしょうか?」
学校に行くか行かないかのレベルの話ではなく、生きていてくれるかどうか―。医師からは「携帯が少し充電できてもすぐに電源がきれてしまうように、フル充電できるまで動かさないこと」とアドバイスされた。

ここから少しずつ親子のあり方も変化し、関東在住のAさんは日本最北の小規模公立高校に「地域みらい留学」という制度を利用し進学しました。 学校教育のあり方を抜本的に見直し、変えていく必要があることを、誰しもが感じています。イエスさまが招かれ・祝福され・愛されている子どもたちを活かす教育を、模索していきましょう。(有明海のほとり便り no.284)