薦められて手に入れようとしたら絶版になっていて、古本でようやく購入した一冊です。大江健三郎らしいユーモアとあたたかさに満ちたエッセイ集で、とても読みやすかったので、ぜひお手にとってほしい本です。
大江は本を「速読」することではなく、むしろ「ゆっくり確実に読んで、それからの生涯を、本当に本を読む人としてすごすのがいい」(p.181)と語ります。
本を読むための自己訓練は、本当に読みたい本が、ゆっくり読まなければ内容をつかめない場合に、必要になります。こういう本は、ゆっくり読むのですから、なかなか前へ進まない。なにより良くないのは、途中で投げ出してしまうことです。どうしても難しく、読み続けられない時は、もう少したってから、あらためて読む本の箱に入れておくといい。そして、時々トライしてみることです。(p.191)
キリスト者にとってまさに「ゆっくり確実に読む」ことが求められるのは、聖書です。なかなか前へと進んでいきませんが、皆さんと共に読み進めていきたいと願っています。
パレスチナ人思想家であるエドワード・W・サイードとのやり取りも印象的でした。サイードはイスラエルによる強大な支配に対しても、そしてパレスチナ側の「自爆テロ」に対しても反対を言い続けました。
カイロの新聞に載ったサイードの文章にこういうところがあります。…《イスラエルの排外主義と好戦性に対する、私たちの答えが、「共存」である。それは譲歩することではない。連帯を作り出すこと、それによって、排外主義者、差別主義者、そして(たとえばビンラディン一派のような)ファンダメンタリストたちを孤立させることなのだ。》
いまこそ二人の言葉を再読し分かち合いたいと願っています。(有明海のほとり便り no.333)