若松英輔著『亡き者たちの訪れ』

期せずして、召天者記念礼拝の準備と重なりました。すべてを読み終わってはいませんが、講演録をもとに編まれており、深いテーマを見事に語られており、特に「宗教(者)」へ問いかけが鋭くささりました。

若松英輔は1968年生まれの批評家・随筆家であり、キリスト者です。けれども、3・11という大震災を受けて、キリスト教を含む宗教者からは本当に必要な応答がなかったと指摘します。

鎮魂を論じることと、魂を感じることは別です。魂の実在を信じていなくても、鎮魂を口にすることはできる。それが現代なのかもしれません。文学者ならまだしも、宗教者すらそうだった、と私には思えました。彼らの発言は、現実から離れているだけでなく、冷淡にさえ感じました。冷淡な、と私が言ったのは、彼らが、生者を思う死者の言葉に耳を傾ける前に、彼らを別な次元に追いやることで決着をつけようとした、と見受けられたからです。(pp.18-19)

ここで若松は、オカルト的な存在でも、幽霊でもない「死者」について語っています。この「死者」は沈黙している存在なのではなく、もっと積極的にわたし達「生者」に語りかけてくる存在として描きます。若松にとっての亡き父や連れ合いのような存在です。

死者を語らない宗教など、すでに宗教の名に値しないと私は思います。宗教は、狭義の道徳でも、倫理規範でもありません。どう生きるのが正しいのかを説く思想でもありません。宗教とは、生者と死者がともに超越と不可分の関係にあることを示す契機であり、伝統であり、生きる道です。(p.32) 

「復活した死者」であるイエス・キリスト、そして信仰の先達たちからの語りかけに、耳を澄ましていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.334)