「ぼくにとって『筑豊』はガリラヤだった」

教区教師研修会が3年ぶりに開催されました。別府不老町教会を会場に、犬養光博教師(平戸伝道所協力牧師)「ぼくにとって『筑豊』はガリラヤだった」と題して二日間に渡る講演をされました。

犬養先生は同志社を卒業後すぐに筑豊に移り、福吉伝道所を立ち上げ46年間そこで働きを続けました。筑豊における諸課題だけでなく、カネミ油症闘争、指紋押捺拒否闘争、菊池恵楓園にある菊池黎明教会での詩篇の学び、愛農聖書研究会など、その働きは常に現場に根ざし多岐に及ぶものでした。犬養先生の生き様に影響を受けた教師・信徒は数多くいます。

犬養先生は無教会の故・高橋三郎先生からも大きな影響を受けています。

ぼくの信仰は、一方で高橋三郎先生を通して与えられたイエス・キリストと、他方、現場、その現場で出会ったイエス・キリストと、二つの中心をもっている。これが一つになれば良いのだが、ずっと緊張関係を引きずってきた。そして近ごろはそれで良かったのではないかと思うようになってきた。(『「筑豊」に出合い、イエスと出会う』p.28)

この「緊張関係」について、「高橋三郎先生のイエス・キリストは垂直の神であり、筑豊のイエス・キリストは水平の現場であり、この十字架が自分の中にある」と説明して下さり、とても腑に落ちました。

ある無教会の集会で、高橋先生の前座で犬養先生が田中正造について講演したところ、高橋先生に「何であのような話をさせたのか」と批判する方たちがいました。すると「現場で苦労して闘っている者の話は、黙って聞くもんだ」と高橋先生が反論されたそうです。お二人は教派を超え、互いに深く信頼し、まさに十字架の神学を生きてこられたのです。(有明海のほとり便り no.346)