『日本基督教団熊本坪井教会 独立五十周年記念誌』(1958年発行)の中に、信徒・宮崎貞子先生による文章「荒尾教会の伝道」が掲載されています。
…初め二年間程は集会の人数も不定で出席者は入れ代りたち代わりまことに淋しい思いをいたしましたが、その中、十五人前後のやや安定した集会を持つに至りました。1948年のクリスマスには初穂として三名の方々が受洗せられ大きな感謝と喜びが与えられました。引きつづき毎年約三名の受洗者がありまして、1949年の春には松木先生と坪井教会の御厚意により同教会荒尾伝道所として新しい出発をいたすことが出来ました。…予算七十万円をもって会堂の建築を思い立ちました。このために内外協力会より三十五万円の援助がありましたが残り三十五万円の募金は相当骨が折れました。教会員は婦人と青年のみでその上少数でありますから広く土地の人々にも援助を仰がねばなりません。或る時は数日間旧友を歴訪し或る時は婦人の会員四、五名が市議会の席に出かけて議員方に訴え、又小中学校の運動会その他の催しには売店を開きなどして全会員が祈をあつめ力を尽して、ようやく二年間に予定の額を与えられました。・・・1951年4月26日荒尾市のやや南寄り有明海を見渡す増永の小高い丘に三十二坪余の会堂献堂式と共に第二種荒尾教会設立式を挙げることが出来ました。又これと同時に附属幼稚園を開設致しました…とは申せ荒尾の伝道はまだ決して容易なことではございません。農夫が堅い堅い土を耕して種子を蒔くように、農村に特有な根強いいろいろの困難を一つ一つ克服してキリストの救の聖言の宣教に当られる牧師先生とこれを援ける教会の兄弟姉妹方のために一日も祈を忘れることは出来ないと考えて居ります。
この祈りを繋いでいきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.391)