3月11日が近くなり、仙台市若林区笹屋敷で出会った菅原さんと夢で再会しました。
震災直後、若林区立七郷小学校に設置された避難所でリーダーの一人として働かれていたの菅原さん。菅原さんたちに「どうか若者たちを育ててくれませんか。希望を分かち合って下さいませんか」と、お願いしたところ、菅原さんが快く「俺が責任を持つ」と、受け入れて下さったのです。
まだ関係者以外入ることが出来なかった津波被災地に、私たちは菅原さんの友人として一緒に入らせていただきました。菅原さんのご自宅も1階が津波でぐちゃぐちゃでした。けれども、エマオからのボランティアと一緒に菅原さんはまずご自宅ではなく、ご自宅の周りを片付けていきました。そして荷物を取りに来た地域の人たちに、菅原さんがエマオのことを紹介して回って下さったのです。
菅原さんのご自宅にワークに入ったのは、本当に最後でした。自分のことを後回しにして、何よりもエマオからやってくる若者たちとの出会いを喜び、時間と思いと労力を割いて下さった方です。様々なトラブルが起ころうとも、菅原さんは笹屋敷とエマオを根気強く繋げて下さいました。
その菅原さんに昨年の3月11日に久しぶりに電話をすると、とても喜んで下さいました。けれどもご自身は、体調を崩され中々ベッドから出ることが出来ないと伺いました。被災から「10年」の間、自ら被災し傷つきながらも、被災した方たちを思い懸命に伴走されてきた方たちが沢山いらっしゃいます。どうかその方たちにも守りと癒やしがあることを祈りましょう。
菅原さんから、「愛は、すべてを完成させるきずな」(コロ3:14)であることを私は教わりました。(有明海のほとり便り no.201)