先日、キ保連熊本地区秋季保育者研修がオンラインでありました。講師は神奈川にある和泉短期大で教えられている松浦浩樹先生でした。実は2年前の秋季保育者研修にお招きし、内容が素晴らしかったことから、もう一度聞きたいと地区の園長会で話し合い実現したことでした。
講演題は「キリスト教保育を再考する」で、いまのめぐみ幼稚園にとってもドンピシャなテーマでした。
講演の最後の方で語られた、あるキリスト教園のエピソードが心に響きました。その園では、世代交代が始まっており、すでに園長はキリスト者でない方が引き継いでおられます。子どもへの温かい優しさは、いまも引き継がれ実践されています。けれども、その「温かさ」「優しさ」が一体どこから来るのか、という視点が薄れてきているように感じると…。
めぐみ幼稚園も含め多くのキリスト教園では、保育者の多くはキリスト者ではありません。けれども、キリスト教園の持つ「温かさ」や雰囲気に共鳴し、キリスト教保育を担って下さっているのです。
では、それらは一体どこから来ているのでしょうか?
津守真という著名な保育学者が次のように言われているそうです。
「聖書を読むことは人間を存在の原点に立ち返らせ、保育の場全体の洞察を助けてくれる」(『保育の中に生きる聖書(8)』)
そうです!キリスト教園の持つよさがあるとすれば、それはすべて聖書から来ているのです。当たり前といえば当たり前ですが、日々現場で起こる様々なドラマにアタフタしている内に、薄まってしまうことも事実です。そこに抗いつつ、愚直に聖書のメッセージをみなで分かち合っていくことが、牧師園長に課せられている使命であることを再確認することが出来ました。(有明海のほとり便り no.227)