尊厳

敬愛するジェフリー宣教師(桜美林大学・アメリカ合同教会)より一冊の紀要が送られてきました。栃木・那須にあるアジア学院が発行する「euodooユオードー」第4号です。そこに先生が小論文を掲載していました。タイトルは「尊厳という新しい言語」

ジェフリー宣教師は、東北教区センター・エマオで長い間主事として働かれました。東日本大震災が起こった際も、被災者支援センターの立ち上げのために奮闘された方です。

そのジェフリー宣教師が、2011年当時のことを振り返っている文章が胸を打ちました。被災者支援活動を通して「人間とは何だろうか」を考える対照的な2つの経験を述べています。1つ目はある被災者との出会いを通して、「人は多くを失って苦しみの中にあってもなお毅然として周りの人の力になることができる」ということ。2つ目は、エマオというコミュニティで生まれてしまった裁き合いの痛み…。私がエマオに赴任したのは1年後の2012年ですから、直接的にそこに関わっていたわけでありません。けれどもどちらの経験も、深く繋がっており、胸を打ちました。

特に2つ目の痛みを振り返る中で、そこに欠けていたのは「尊厳」だったと気付かされます。

「尊厳」と聞いてまず連想される言葉は「尊敬」である。しかし、この二つの言葉には根本的な違いがある。尊敬とは人の生きる姿勢や成し遂げてきたことに対して与えられるものだ。…これに対し、尊厳とは人間としての存在そのものに備わっているものだ。端的に言うと、尊厳とは生まれ持つ価値である。

神はこの「尊厳」を私たち一人ひとりに与えて下さっているのです。(有明海のほとり便り no.160)