荒尾教会で約30年間牧会された小平善行牧師を招いて、特別礼拝を行います。小平先生は今年度霊泉幼稚園の副園長を担って下さっていましたが、3月末で退任されることとなりました。荒尾めぐみ幼稚園と同法人の霊泉幼稚園は、昨年度急な園長退任があり途方に暮れた時に、小平先生が担って下さったことに感謝しかありません。
- 日時 2021年3月21日(日)10時半より1時間程度
- 会場 日本キリスト教団荒尾教会
ぜひご一緒しましょう!
荒尾教会で約30年間牧会された小平善行牧師を招いて、特別礼拝を行います。小平先生は今年度霊泉幼稚園の副園長を担って下さっていましたが、3月末で退任されることとなりました。荒尾めぐみ幼稚園と同法人の霊泉幼稚園は、昨年度急な園長退任があり途方に暮れた時に、小平先生が担って下さったことに感謝しかありません。
ぜひご一緒しましょう!
受難節(レント)を過ごす中で、国立療養施設大島青松園で人生の多くを過ごした、キリスト者塔和子(詩人)による『胸の泉に』を通し、隣人そしてイエス・キリストとのかかわりに思いを馳せたい。
かかわらなければ この愛しさを知るすべはなかった この親しさは湧かなかった この大らかな依存の安らいは得られなかった この甘い思いや きびしい思いも知らなかった 人はかかわることからさまざまな思いを知る 子は親とかかわり 親は子とかかわることによって 恋も友情も かかわることから始まって かかわったが故に起こる 幸や不幸を 積み重ねて大きくなり くり返すことで磨かれ そして人は 人の間で思いを削り 思いをふくらませ 生を綴る ああ 何億の人がいようとも かかわらなければ路傍の人 私の胸の泉に 枯れ葉いちまいも 落としてはくれない
(有明海のほとり便り no.199)
受難節(レント)に入りました。この時にもう一度それぞれの信仰を振り返り、歩んでいきたいと願っています。
アメリカ元大統領の一人にジョージ・W・ブッシュがいます。2001年9月11日に同時多発テロがアメリカで起こりますが、その際の大統領がこのブッシュでした。テロへの報復を始めていった政治家です。私がアメリカに留学していた際の大統領でもあり、政治家としては、かなり問題を感じています。
このブッシュ元大統領はイェール大学やハーバード大学を卒業していますが、決して成績は優秀ではなく、むしろ平均ぎりぎりかちょっと悪いくらいでした。数年前イェール大学の卒業式に招かれ面白いスピーチをしました。
様々な表彰状をもらい首席で卒業する みんなにはこう言いたい。 よくやった、と。 Cしか取れなかったみんなには こう言いたい。 あなたもアメリカ大統領になれる、と。
あるアメリカの牧師がこのスピーチを引用しつつ、こんなことを言っていました。「決して信仰深く敬虔に歩むことが出来ない私のようなC・D・Fキリスト者仲間たちにこう言いたい。あなたも生ける神の子だと。」
表面上は取り繕っているかもしれませんが、私たちの内なる心のどうしようもない動きを、神さまはよくご存知です。私は「牧師」ですが、一体全体こんなんでいいのだろうかと思うことが多々あります。
けれども勘違いしてはならないのは、私たちではなく、神さまが一方的に私たち一人一人を愛し、救って下さっているのです。そこには合格や不合格もありません。A(優)もF(落第)もないのです。
その圧倒的な恵みの中で一歩ずつ歩んでいきましょう。(有明海のほとり便り no.198)
1873年から1948年まで、2月11日は「紀元節」と呼ばれ、初代天皇とされる神武天皇が即位した記念日でした。学校では、日の丸掲揚、君が代斉唱、「御真影(天皇の写真)」の前での「教育勅語」、「皇室のありがたさ」等が説かれました。1966年、旧「紀元節」復古を願った政府によって今度は「建国記念の日」と再び制定されます。そのような中で、キリスト諸教会は抗議の意味をこめて、「信教の自由を守る日」としているのです。
いま子ども達が通う小学校では、当たり前のように「日の丸・君が代」が使われ、道徳も教科化されています。「イエス・キリストの神が私たちにとってただ一人の神」ですから、天皇は私たちにとって神ではありません。
そして日本学術会議が推薦した会員候補6名を菅首相が任命拒否するということが起こりました。このようなことが続くと何が起こるでしょうか?学者たちは、政治家の顔色を見て発言を余儀なくされていきます。学問の自由が明らかに損なわれていく時、戦前とまったく同じ道程を進むでしょう。
ナチス・ドイツに迫害されたマルティン・ニーメラー牧師の詩を噛み締めましょう。
ナチスが共産主義者を攻撃し始めたとき、私は声をあげなかった。 なぜなら私は共産主義者ではなかったから。 次に社会民主主義者が投獄されたとき、私はやはり抗議しなかった。 なぜなら私は社会民主主義者ではなかったから。 労働組合員たちが攻撃されたときも、私は沈黙していた。 だって労働組合員ではなかったから。 そして彼らが私を攻撃したとき、 私のために声をあげる人は一人もいなかった。
(有明海のほとり便り no.197)
「資本主義」によって日本含むほとんどの世界経済社会が成り立っていることは、みなさんもよくご存知のことではないでしょうか。では、「資本主義」とは一体何なのか、そして一体何が問題なのでしょうか?
マルクスの『資本論』を「解説」している本を少しずつ読んでいます。私自身まったく分かっていなかったのですが、『資本論』は共産主義ではなく、資本主義を論じているのです。1886年に出版された『資本論』に関する本が毎年のように出されることからも、その影響が大きいことをうかがい知れます。しかも、どうもその分析や批判が、かなり的を得たものであることが分かってきました。
マルクスの指摘によると、資本主義は止まることの知らない飛行機のようなものです(多分…)。ひたすら世界中を飛び回り、飛行距離(利益や富)をどんどんと伸ばしていきます。そのためにもちろん燃料(天然資源や人間の労働力)を消費していきます。空中給油しながら飛んでいるため、いつまで経っても着陸しません。こんな飛び方をしていたら、最後はどのようになるでしょうか?
この地球が有限であること、そして私たち人間自身が神さまに創られた有限(限界が有る)存在であることは言うまでもありません。気候変動や富の格差拡大に見られるように、もうこの地球は限界に突入しつつあるのです。無限に飛び続けようとする飛行機は墜落しつつあるのです。
貪ること、神以外のものである富を崇拝することを、神さまは十戒を通して禁じられました。にも関わらず私たち人間は、有限な被造物であることを忘れ、あたかも無限な存在(神)であるかのように資本主義という大きなバベルの塔を作り上げてしまっているのではないでしょうか。(有明海のほとり便り no.196)
園内研修でお招きしたK先生とお話ししていると、静岡大学で教育を学ばれている際に、大学で行われていた聖書研究会に参加していたことを伺いました。そこから静岡草深教会を当時牧会されていた辻宣道(のぶみち)牧師の名前が出てきて、とても驚きました。さらに『信徒の友2月号』をふと開くと、辻宣道牧師のお連れ合いである辻哲子牧師(90歳)が寄稿されており、神さまの不思議な導きを感じました。
辻宣道牧師は元教団議長でもあり、教団史を学ぶ際によく名前が出てくる人物の一人です。宣道牧師の祖父は中田重治であり、日本ホーリネス教会の創始者の一人です。そして、父は辻啓蔵牧師といって、戦時中弾圧され獄中死された方です。
つまり天皇統治がキリスト再臨により廃止されるべきもの、天皇よりも再臨のキリストが上位に立つのかと糾弾されたのでした。…啓蔵は天皇制の下に過度の屈辱を強いられ妥協へと歩まされました。それでも翌年4月30日上告は棄却され、啓蔵は刑務所に再び収監され、45年1月18日獄中で死にました。…あらためて思うのは、戦時下のキリスト教会およびキリスト者の信仰の体質です。国家体制に傾く人、神の国を心霊的な事柄とする人、嵐が静まるまで沈黙する人と、妥協と逃亡にあふれていました。果敢に闘うキリスト者いましたが、わずかでした。…ところが敗戦から75年がたつ今日、時代に対する危機意識が欠落していることを痛感します。…自己保身、無責任、無関心が広がっています。なぜ勾留されるのかすらわからなかったあのころのように。
辻啓蔵牧師の獄中での弾圧死、そして「信教の自由」が持つ大きな意味を覚え続けましょう。(有明海のほとり便り no.195)
昨日は、Sさん・Sさんの結婚式を無事執り行うことが出来ました。新型コロナウイルス感染対策や雨のために、式以外にもみんなの知恵を合わせて、それぞれの努力と気遣いが普段以上に溢れた、温かい式となりました。新たな歩みを始めていくお二人そしてゆうちゃんのことを覚えてお祈りしましょう。
22日は、国連で核兵器禁止条約が発効されました。これにより核兵器の開発、保有、使用が全面禁止されることとなりました。とても残念なことに、被ばく国である日本がこの条約に参加していません。
教団ジャーナル『風』第68号に、Kさん(三木志染教会信徒)が証しを綴られ胸を打ちました。
1945年8月6日8時15分、新型爆弾は投下され、一瞬にして広島は廃墟と化しました。生後8ヶ月の私は、爆心地から1.1キロの広島流川教会の牧師館で、母に抱かれて家の下敷きになるも、生き残ることが出来ました。…幼かった私が忘れることの出来ないのは、多くの親を亡くした子ども達、それと火傷を負ったお姉さん達です。
Kさんは両親から「おまえは町内で生き残ったたった一人の赤ん坊だから、広島のために、世界平和のために生きて欲しい」という言葉に、反抗していた時期もあったそうです。けれども、イエスの山上の説教「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」が、ヒロシマへの取り組みへと歩みだされていきます。
被ばく国である日本が参加していないのはとても残念です。広島・長崎を経験した日本が先頭に立たないで、どこが立つのかと海外の人たちに問われます。核の無い世界を被ばく国日本から発信したいものです。
(有明海のほとり便り no.194)
『信徒の友12月号』の「金さんのスケッチ散歩」で荒尾教会を取り上げて下さいました。そこに金斗鉉画伯が「教会員は60歳が一番若く、高齢の方が多いがゆるぎない信仰で教会を支えてくれているので頼もしい」と書いて下さったために(?)、ある時編集部から連絡がありました。2月号でご高齢の信徒たちの証しを取り上げたいので、教会員を紹介してほしいと。でも、ど・う・し・よ・うと…悩み、荒尾教会の方を紹介するのは丁重(^_-)に辞退させていただきました。
そのかわりに、地区牧師会で金聖孝先生から伺った在日大韓基督熊本教会のご高齢信徒を紹介しました。先日届いた2月号を開くと、「敬虔な信仰者になりたい」というMさんの証が掲載されていました!
Mさんは戦争のために小学校しか行くことが出来ませんでした。それが62歳のときに何とアメリカまで留学へ行かれます。そこで初めてキリスト教と出会い信仰が与えられます。
聖書の勉強会で「人はパンだけで生きるものではない」(マタイ4:4)というみ言葉に触れたとき、47歳という若さでこの世を去った母が語っていた言葉が浮かんできたのです。「サラムン パンモンモッコ モッサラ」(人はご飯だけ食べては生きられない)。母はクリスチャンではありませんでしたが、このみ言葉どおりに生きたように思います。
お母様への思いに胸が打たれました。そんなMさんですが、90歳を超えて生まれてはじめてピアノを弾くことにチャレンジされました。目標は「いつくしみ深き」を弾くことで、1日30分18ヶ月間欠かさず練習をされているそうです。何歳になってもチャレンジする姿に、信仰者としての逞しさを感じました。(有明海のほとり便り no.193)
『ポレポレやまのぼり』(たしろさと作)という絵本が我が家にあり、先日子どもたちと一緒に読みました。
はりねずみくん・ぞうくん・やぎくん3人で大きな山へと登っていきます。
山登りが得意なはずのやぎくん、なぜか一番大きなリュックを背負っています。どんどん進もうとする、はりねずみくんのペースにはついていけません。2人はやぎくんのペースに合わせて、ポレポレ(スワヒリ語「ゆっくりゆっくり」)登っていきます。大きな岩壁では、力持ちのぞうくんに、やぎくんの荷物を背負ってもらい、お尻を押してもらい手伝ってくれました。はりねずみくんもぞうくんの頭に座らせてもらっています。
とうとう頂上に着くと、3人は大喜び。さっそく頂上の回りにいる人たち(くま・さる・ぶた・うさぎなど)と同じようにテントを張ります。すると…やぎくんの大荷物の中からは、大きな鍋と調理器具、食材に食器、そして…何とコック帽まで!
やぎくんはポレポレ(ゆっくりゆっくり)心を込めて、大鍋でスープをつくります。すると、美味しそうな匂いにみんなが集まり、ねこさんはお魚を持ってきて一緒に焼いたりして、持ち寄りパーティーが始まりました。
最後はみんなで焚き火の回りを、楽しそうに踊ります…。
イエスさまが、神の国・救い・愛・正義・平和を分かち合うためにガリラヤを旅したのはおよそ3年間でした。期間としてはあっという間です。けれども、新幹線や飛行機を乗り継ぐような慌ただしい旅ではなかったはずです。むしろ、ポレポレ(ゆっくりゆっくり)心を込めて一人ひとりと出会い、食事を分かち合い、救いの希望が生まれていったのです。
ポレポレと、一歩一歩。(有明海のほとり便り no.192)
新型コロナウイルス感染拡大に収束の見通しが中々立ちません。このような状態で東京をはじめとする4都県は緊急事態宣言を政府へ発令を要請しました。何よりも<いのち>を守るために、積極的な経済支援を含めた対策が必要なことは明らかです。コロナ禍にあって、特に小さくされている<いのち>を覚えてお祈りしましょう。
感染対策のために日本でさかんに使われている「ソーシャルディスタンス」という言葉遣いに違和感を覚えています。単純に訳せば「社会的距離」となる言葉ですが、私たちにいま必要なことは「物理的距離(フィジカルディスタンス)」であって、「心理的距離」は孤立を招き問題を深刻化します。
例えば、「コロナうつ」を予防するために「温かいコミュニケーション」が欠かせません。あるいは、保育の現場で「心理的距離」を子どもたちと取るなんていうことはありえません。抱っこなどの身体的接触による愛着形成が最も必要なこの時期に、そもそも「物理的距離」を置くことすら至難の業です。
イエス・キリストの生き様は、重い皮膚病や障がいのために差別された人のところへと自分から飛び込んでいくものでした。様々な「ソーシャルディスタンス」を乗り越え、神さまの愛、救いを分かち合っていったのです。
感染拡大を防ぐために「物理的距離(フィジカルディスタンス)」を保ちつつ、「心理的距離」や「霊的距離」を縮めるための知恵が求められています。 2021年においても、イエス・キリストという確かな希望を抱きつつ歩んでいきましょう。(有明海のほとり便り no.191)