神さまにまかせおけば大丈夫!

信徒の友12月号』の「金さんのスケッチ散歩」に荒尾教会が掲載されました。神さまからの思わぬクリスマスプレゼントに感謝です。

金斗鉉画伯が短い紹介文の中で、このように記しています。

幼稚園と教会のつながりは難しいが、種まきから20年30年の後に実ることもあるらしい。教会員は60歳が一番若く、高齢の方が多いがゆるぎない信仰で教会を支えてくれているので頼もしいと先生は強く語った。

電話でのインタビューでニュアンスが上手に伝えられなかったのですが、教会員の方たちのことを「高齢」ではなく(^_^;)、むしろ「信仰の先輩・友」として支えて下さっていると感謝しています。

さて、もう一つ12月号に注目の記事がありました。親しくさせていただいているI弁護士の「40代、50代の証し」です。私たちにとっては「札幌北部教会の兄」のような方です。大学を卒業後、アルバイトをしながら司法試験に取り組みましたが、中々スムーズに合格しませんでした。

結婚をして、合格していなのに子どもが生まれて、家事育児兼受験勉強の生活をして…。そんな、周りから見れば危なっかしい生活をしていました。しかし私と妻は、いつも「神さまにまかせおけば大丈夫!」と話していたのです。実際、神さまは、私たちの周りに多くの助け手を準備してくれていて、そのおかげで本当に何の心配なく(少なくとも本人たちは)生きてこられました。

この「神さまにまかせおけば大丈夫!」という感覚が、私たちの信仰生活の確かな導きとなっていくのです。(有明海のほとり便り no.187)

トクベツ

新型コロナウイルスの感染者数が軒並み増えてきて「第3波」を迎えています。感染された方たちが一日も早く回復し癒やされることをお祈りしましょう。

2020年度は、新型コロナウイルスによって教会生活においても大きな影響がありました。現在も続く短縮礼拝は最たる例でしょう。また、本来でしたら今日は収穫感謝礼拝として、子どもたちと一緒に作った豚汁を礼拝後ご馳走になるはずでした。けれども、今年はそれも叶いません。このままでは愛餐会なしのクリスマスも無事迎えることが出来るのか心配です。

そんな時に、次の文章を読んで、ハッとさせられました。

コロナの影響で「今年は…」という前置きがつき、特別さが強調されています。でも、保育を考えたとき、本当はどの一年も特別な一年ですね。子どもにとっても、園にとっても、毎年がかけがえのない一年です。「うちの園の5歳児はこういう保育をすることになっている」とか「運動会では必ずこれをすることになっている」という保育をしていたら、今年の特別さは、大きなマイナス要因になるでしょう。

久保山茂樹(国立特別支援教育総合研究所) 『キリスト教保育12月号』

これは私たちの信仰生活においても同じではないでしょうか。私たち一人ひとりにとって、荒尾教会にとって、どの一年も特別であり、かけがえがないのです。(有明海のほとり便り no.186)

生協(コープ)

すっかりお味噌汁作りにも慣れてきた(おかずはいただき物や冷凍物が多いが…)。「だし」問題も、そもそも「ほんだし」ではなく「グリーンコープ」の「だし」で、何度も探したところ(!)から見つかった。

コープ歴は結構長い。物心がついた時にはすでに実家は「生活クラブ」の会員だった。その頃は、個人配達ではなく、班単位での配達が主流で、家の玄関に班の人たちが集まりワイワイ分け合っていた。いま振り返ると、何だか心温まる場だった。時代の流れの中で、個人配達が主流となっていく。

前任地の仙台では、「あいコープみやぎ」を利用していた。食品の放射能自主測定を行っており、自主基準が10Bq/kg以下としてくれていた。政府は一般食品の放射性物質の基準値を100Bq/kgとしている中で、「あいコープ」からの食品はまさに命綱だった。

どのコープにも共通しているのが「安心・安全な食品を食卓へ」という願い。さらに一歩深めれば、人間が自然・地球と共生していくという指針。

1951年に生協(コープ)の全国組織である日本生活協同組合連合会が設立された際、初代会長はキリスト者・賀川豊彦だった。賀川が「協同組合の中心思想」として7つの言葉を遺している。

賀川が祈り願った神の国のビジョン(幻)がここにある。「人格経済」が実現したとは到底言えない「いま」、まずはささやかな所から。(有明海のほとり便り no.185)

お味噌汁

お味噌汁を久しぶりに作る。あまりに久しぶりすぎて、だしをどうしたらよかったかも思い出せない。そういえば「ほんだし」だったのではと、あれやこれやと探し回るが、結局見つけることが出来ず…。ふと鰹節の小分けパッケージを見てみると、だしにも使えることが判明。早速鰹節からどうやって「かつおだし」を取るのかをググり実行。だしがらを上手く取れなかったが、それくらいはよいだろうと判断し続ける。大根・人参・小松菜・木綿豆腐…とにかく冷蔵庫で「食べて!」と目が合ったものを入れ、最後は味噌を溶かしていく。味見を繰り返すこと3回。う~ん何かが…、でも悪くないと納得して火を落とす。気付いたら、夕食・朝食で吸ったとしても余る量を作ってしまった。次回への改善点にしよう。子どもたちは(多分)美味しそうに食べていた。

もう10年も前、Hさんがフルタイムで働き、私は神学校へ通いバイトをかけ持ちしながら生活をしていた。Hさんに教わったお味噌汁をよく作っていたことを思い出し、自分も家事をもっと担わなければと反省する。

神学校の最終学年に上がる直前、Bが生まれた。当時私たちは、東京にある番町教会に住まいも含めとてもお世話になっていたのだが、教会の方たちはますます私たちの生活を心配して下さった。お祝いだけでなく、紙おむつや子どもの肌着など、そして毎週礼拝後の昼食に出たカレーなどの余りはいつも鍋ごと我が家へ。Bが番町教会で過ごしたのは1年だけだったが、もっとも身体が成長する時期、彼の細胞の多くは間違いなく番町教会産だった。

そしていま、荒尾でも教会や園の方たちが色々と食事などを持ってきて下さっている。聖書が伝える「共に生きる」とはきっとこういうことなのだと思う。感謝して恵みに預かりたい。(有明海のほとり便り no.184)

被造物すべてが主にある「兄弟姉妹」

信仰の先達の一人としてアッシジのフランチェスコ(1182-1226)がいます。裕福な家庭に育ったフランチェスコですが、回心をしていきます。アッシジ郊外のサン・ダミアノの聖堂で祈っていたとき、キリスト像から「フランチェスコよ、行って私の教会を立て直しなさい」という声を聞き、またハンセン病を患っている人たちとの出会い、仕えるようになります。父親から猛反対されますが、フランチェスコは自分の父は「天の父のみ」として旅立っていくのです。

フランチェスコの働きから清貧の実践を大切にする「小さき兄弟団(フランシスコ会)」が生まれていきます。その晩年、病床で目が見えない状態で書いた神への賛美の詩が『太陽の賛歌』です。その一部を紹介します。

賛美されますように、わたしの主よ   姉妹である月と星とによって
あなたはそれらを清く貴く美しいものとして   大空にお造りになりました

賛美されますように、わたしの主よ   兄弟である風によって
また、大気と雲と晴天とすべての季節によって

これを通して、あなたはすべての造られたものらに  支えを与えてくださいます

フランチェスコは太陽・月・星・風・火などを兄弟姉妹と呼びます。フランチェスコにとって「兄弟姉妹」とは何か狭い人間関係ではありません。被造物すべてが主にある「兄弟姉妹」なのです。この「広がり」と「繋がり」を大切にしたいと願っています。

さらに、フランチェスコは肉体の死をも姉妹と呼び、永遠の命に至る希望を歌い上げます。信仰の先達たちが示すこの神の平和・平安を胸に刻んでいきましょう。(有明海のほとり便り no.183)