1953年春、東京で結婚式を挙げたばかりの牧野富士夫牧師が荒尾に遣わされました。先生は静岡県に生まれ、日本聖書神学校卒業後、1952年より沼津教会、荒尾教会、美竹教会、真駒内教会、利別教会を牧会し、2010年5月25日に81歳で召天。50周年誌では特に2名の教会員について綴られています。
堀司馬太郎さん。当時七十歳を越えていました。長洲駅の隣で小さな食料品の店を、朝六時から夜は十時の終列車の通過後まで開いており、奥様はリュウマチで寝たきり、長男は結核で殆ど働けず、一人で店を守っていました。それでも日曜には必ず店を閉じて出席。一番前の席に座って説教が始まるとすぐに大船を漕いでいる。そして、礼拝が終わるとつかつかと前に出てきて、私の手を握り、「先生、今日の説教はよかった。」…。ほかの人なら怒り出したくなるところですが、堀さんの巨体とそれに釣り合ったスケールの大きな人格、老年の逆境と重荷を包み込んで一つの愚痴も言わぬその生き方は、私に無言の力を与えてくれました。
…白谷マツエさん。当時、宮崎先生のお宅の家政婦のような仕事をしておられましたが、先生が荒尾を去られた後、二・三里も離れた親戚に身を寄せ、そこから、歩いて礼拝。祈祷会には必ず出席、いつも涙を流し熱烈な祈りをして下さいました。説教にも伝道にもいつも行き詰まって、機会があれば夜逃げでもしたい位の私でしたが、「この人を見棄てて絶対に夜逃げすることはできない」と踏み止まらせてくれたのは、重荷を負わされながらも強く信仰に生きる白谷さんの存在でした。
…一緒に幼稚園で働いた大内マサ子さん、松下敏子さん、村上良子さん。私達はその後札幌の郊外で二十六年間、開拓伝道と幼稚園に携わりましたが、あんなに気持ちよく苦労を分かち合ったことはありません。
真駒内教会・利別教会はともに、私にとってもささやかな繋がりのある教会で、不思議な導きを感じています。(有明海のほとり便り no.232)