名もなき人として

1952年にノーベル平和賞を受賞したアルベルト・シュヴァイツァーは、21歳の時、「30歳までは学問と芸術を身に付けることに専念し、30歳からは世のために尽くす」と決心しました。事実30歳になってから医学部に入り直し、38歳でアフリカへと医療活動のために旅立ちました。この医療活動のために全財産を費やします。しかし、第一次世界大戦や第二次世界大戦が起こる度に、翻弄させられました。アフリカでの献身的な医療奉仕活動が高く評価されたキリスト者ですが、シュヴァイツァーは新約聖書学者でもありました。そのシュヴァイツァーがマルコによる福音書1章16~20節を巡って次のように語っています。

「かつて湖のほとりで、彼が誰であるかを知らなかった人々のところにイエスがやって来た。同じようにイエスは私たちのところにも見知らぬ人、名もなき人としてやってくる。その人は私たちに『私についてきない』と同じ言葉を語り、私たちの時代のために私たちがなすべき課題を私たちに与える。その課題に向き合う苦難の中で、イエスはようやく自分自身を現すであろう」

それぞれの場で神さまから与えられた働きがあります。それを全部投げ捨てて神に従えという意味ではないでしょう(もちろんそのような決断を求められる時もあるかもしれませんが)。

それよりも、<いま・ここ>で、見知らぬ人、名もなき人としてやってくるイエスに、出会っていくことが大切なのではないでしょうか。そしてそれは、平凡あるいは単調と思える日々の中でこそ、実はそのような出会いが与えられているのかもしれません。(有明海のほとり便り no.258)