クチナシの花びら

久しぶりの教区総会でした。時間を短縮するために、できる限り議事を絞り込み行われました。わたしは議事運営委員に選ばれたため、議場の前方に用意された机に座り過ごしました。タイムキーパーとしてハラハラしていましたが、時間内に無事終えることが出来ました。

やはり対面でないと出来ないことがあることを痛感しました。特に議論の深まりに関しては、議場にいないと分からない部分が多いのです。議案によっては、意見が対立するもの、痛みをもって全員可決するもの、喜びをもって話し合われるものなど、様々です。Zoomなどのオンライン会議も、少人数ならば出来るかもしれませんが、100名を超える者たちが集うとき、目には見えない思いは対面でなければ中々伝わりません。

さて、逝去教師追悼式は2019年度~2021年度までに召天された教師11名を覚えるものでした。とてもお世話になった梅崎啓子さん・浩二教師(元・大牟田正山町)のお父様・橋本高幸教師も、そのお一人でした。幼稚園を手伝って下さっているTさんが、橋本先生が長く牧会した犀川教会の週報に掲載した「福音博物誌」をまとめた小冊子を貸して下さいました。橋本先生は虫や鳥、植物など「博物」的知識を聖句と繋げつつ綴っておられます。その中で、敗戦後、満州から引き揚げて家にたどり着いた時を振り返っておられ、胸を打ちました。

こんなにも、平穏無事な麦秋の宵に、なぜ、引揚げのこと、戦争のことを思わねばならないのでしょうか。それは、この平和という現実が、たとえば咲き初めのあのクチナシの花びらのように、いかにも傷つき易いものであるためなのかもしれません。  「平和をつくりだす人たちは、幸いである。」(マタイ5章9節)

(有明海のほとり便り no.260)