アリス・フィンレー宣教師

鹿児島加治屋町教会より『敬愛幼稚園創立100周年記念誌 光のこどもたち』をいただきました。1916年の創設ですから、荒尾めぐみ幼稚園よりもずっと古い歴史のある教会です。いくつも深い共感を覚える文章に出会い、キリスト教保育という同じ根っこに気付かされました。

記念誌の中で、特に興味深かったのが創立者アリス・フィンレー宣教師に関するものです。フィンレー宣教師は1878年アメリカ・オハイオ州で生まれ、1910年31歳で鹿児島に米国メソジスト教会からの宣教師として遣わされました。1916年に敬愛幼稚園が始まった時には園舎もなく、フィンレー宣教師が住む宣教師館で5名の園児を預かることから始まったそうです。以来、文字通り献身的に敬愛幼稚園と教会に仕え、1940年に休暇でアメリカへ一時帰国しますが、半年後に開戦した太平洋戦争のため日本への再入国が出来なくなってしまいました。アメリカでいくつかの教会や施設に遣わされますが、それぞれの地で日本のことを祈り伝えていかれたそうです。卒園生からは「私達のお母さま」と親しまれました。1959年80歳で召天されました。Kさんという当時の卒園生が朝日新聞の記事に次のように記しています。

先生はとても優しい方で、毎朝、私たちが登園すると、高い背をかがめて一人ひとりに声をかけ、ぎゅっと抱きしめてくださいました。…育ち盛りの子どもたちのために、すきやき会をされたり、元気がない女の子には添い寝をしてあげたり。温かい母のような振る舞いは、多くの人の心に残っています。…30代のころに結核を患い指宿で療養していた私に、当時の日本ではなかなか手に入らなかったストレプトマイシンを米国で入手しておくってくださいました。

フィンレー宣教師は鹿児島の地で、神さまの愛を分かち合う働きをされたのです。(有明海のほとり便り no.270)