創設者・宮崎貞子先生を覚えて

荒尾教会がこの地に建てられて76年が経ちました。礼拝出席約10名の小さなわたしたちが、荒尾めぐみ幼稚園と共に今日まで歩んでこられたことに、神さまからの不思議な守りと導きを感じています。

大きな反響を呼んだ小説『らんたん』には、荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園の創設者である信徒・宮崎貞子先生が出てきます。そのことを折りに触れて、Facebookで紹介すると、思いがけないところでの繋がりを知りました。

知り合いのKさんからはこんなコメントをいただきました。

「実は宮崎先生は美竹教会でもご一緒で、個人的にはわたしの英語の家庭教師もしてくださいました。帰国したばかりの河井先生の思い出話を聞いたこともあります。寮の一間廊下を歩く河井先生のドレスの衣擦れの音に、ワクワク胸を躍らせたというエピソードは、どこか市川房江を思わせるツイードのスーツ姿のカッチリした宮崎先生にも、そんな娘時代があったのだなと、今でも忘れられない思い出です。」 ※恵泉女学園創設者の河井道先生のこと

独立学園高校時代の恩師・K先生からも。

「宮崎貞子先生!私が恵泉に入学した1946年、まだ恵泉にいらっしゃいました。河井寮でお食事ご一緒でした!間もなく恵泉を辞されたので、その後のことは全く知りませんでした。荒尾教会の礎を作られたのですね。その教会を今、真史さんが牧会している?!神様のみ手の中で時空を超えてつながっている不思議さ!

わたしがK先生にお世話になったのは、25年ほど前。そしてK先生が貞子先生に恵泉でお世話になったのは76年前。誰一人としてこのような繋がりが生まれるとは、思いもしませんでした。神さまの不思議な導きとしか言えない出会いに心震える思いです。この地で、これからもイエス・キリストの福音を分かち合っていきましょう。(有明海のほとり便り no.288)

横野朝彦先生をお迎えします

76年前、一人の信徒・宮崎貞子先生の祈りと働きによって始まった荒尾教会。礼拝出席約10名の小さなわたしたちが、荒尾めぐみ幼稚園と共に今日まで歩んでこれたことに、神さまからの不思議な守りと導きを感じています。

心からの感謝を込めて次週創立76周年記念礼拝を行います。

講師として横野朝彦(ともひこ)牧師を岡山からお招きします。農村伝道神学校1年の終わりに結婚し、住居を探していたわたし達に、横野先生や番町教会が快くお部屋を提供して下さり、以来卒業までの3年間公私共々とてもお世話になった恩師です。

人生で一番貧しかった神学生時代。千代田区という東京のど真ん中で、大きなビルや高級マンションなどに囲まれ暮らすことになり、その生活水準のギャップに戸惑うことも多々ありました。しかも2年目の終わりには橅も与えられ…それにも関わらず、なぜかとっても「豊かな」日々でした。

毎週のように教会員さんたちから、あれやこれやと差し入れをいただきました。絆奈さんの妊娠が分かったら、ほぼ毎回病院まで車で送迎し付き添って下さる方も。橅が生まれてからは、沢山のお祝いに加えて、ますます支えていただき…当時の橅の栄養源は99%番町教会でした。横野先生にも礼拝説教の機会などもよく作っていただいたり、食事をご馳走していただいたり、番町教会時代の思い出は尽きません。横野先生は番町教会の移転・新築というとても大きな働きを成し遂げられ、退任されました。

わたし達が番町教会を離れてから11年になりますが、お世話になった方たちの中には、この間に召天された方たちが何人もおられます。感謝を込めて横野先生をお迎えしたいと願っています。(有明海のほとり便り no.287)

按手礼式

本日、山田原野教師が按手礼式を受けられます。普段の教会・園業務に、園舎建築への働きが加わり多忙を極める中で、さらに正教師試験が重なりました。その準備はとても地道で忍耐を要するものです。倦まず弛まず最後までやり切った原野先生に、そして山鹿教会に心からのお祝いを送ります。これからの牧師としての歩みが守られ導かれることを、祈りましょう。

「按手」とは頭に手を置いて祈る所作のことです。日本キリスト教団においては、正教師が志願者の補教師の頭に手を置いて祈り・祝福し、新たに正教師としての歩みへと遣わすことを意味しています。また、正教師になることによって、はじめて聖礼典(洗礼と聖餐)の執行が出来るようになります。これは「教規」という教団ルールブックの第104条に定められています。

わたしは東北教区で受按しましたが、なぜ正教師を志願するのかと教区面接で問われた際、小さな地方教会での宣教に資するようにと答えました。いずみ愛泉教会が属する宮城北地区の教師たちで、T教会の礼拝説教応援に行っていました。山鹿教会と同じくらいの規模で、幼稚園もある教会です。わたしは、いずみ愛泉教会の副牧師で主任ではなかったので、数ヶ月に一度は担当させていただき、礼拝後1時間半かけて車で向かったのです。その奉仕を通して、聖礼典執行の必要性を痛感していました。

ただし、この「補」教師と「正」教師という区分は、戦時中の政府の圧力によって合同した際の産物であり、同じ教師でありながら補教師は聖礼典を行えないという現行の制度は、歴史的にも万人祭司というプロテスタント神学的にも大きな矛盾を抱えています。九州教区もこの課題に真摯に取り組み、教団総会で問題提起を続けています。また、あえて「補教師」に留まり続けている牧師たちもおられることも覚えていきましょう。(有明海のほとり便り no.286)

召天者記念礼拝

荒尾教会では毎年11月第1主日を召天者記念礼拝としています。召天者を記念する意味について、札幌北部教会が冊子『葬儀について』を出されており、とても参考にしています。

一般的に仏教では葬儀の後、一定期間ごとに法事などを行いますが、キリスト教には、そのような取り決めはありません。仏教においては法事を通して、死者が仏となるように祈り・礼拝するという意味が込められています。けれどもキリスト教では「死者についてはいっさいを主なる神にゆだねるのであり、法要や供養といった人間の行うわざによって死者の死後のありかたを定めようとするのは、信仰に反する」と考えます。

ただしそれは、死者を忘れ去ってよいということではありません。「主なる神が命を与え恵みをもって導いた、かけがえのないひとりの人の生涯の歩みを振り返り、そこに現れた主の御手の働きに心をむけ、わたしたちの信仰の励みとするために、故人の生涯を思い起こす記念の機会をもつことは、ふさわしいこと」であり、教会が召天者記念礼拝を持つ意味はここにあります。

それだけではありません。特に家族の死という大きな喪失によってグリーフ(悲嘆)を経験している方たちにとって、この喪失と共に生きるためのグリーフワークとしても大切な時だと考えています。ですから、もし許されるならば、ぜひご家族で記念礼拝や墓前礼拝に参加していただければと願っています。

また、このグリーフワークはご家族だけでなく、教会=共同体にとってのグリーフワークでもあります。「主の名のもとに集う共同体が、故人の信仰の生涯によって証しされる主のみことばを聞いて、希望と慰めを見出す」時としていきたいと祈っています。(有明海のほとり便り no.285)