言葉といとなみ

東京・町田にある農村伝道神学校から学報が届きました。巻頭メッセージで、教師の池迫直人牧師(生田教会兼務)が、「身体を動かして」と題し、ひと言で言えば「農村伝道について」とても興味深い論考を寄稿されています。

池迫教師は九州出身で、農伝卒業後は田瀬教会(岐阜)や田名部教会(青森)そしてアジア学院(栃木)などを経て、わたしが在学中には、藤沢大庭教会(神奈川)を牧会しつつ神学校で農業実習などを教えておられました。いまでも親しくさせてもらっています。

そんな池迫教師の牧会の原体験として、田瀬教会の信徒の方たちと、一町歩余りもある広大な教会の傾斜地の整備していく中で、農民として生きる信徒の方たちとの出会いがあったことを知りました。

農村伝道神学校にも広大な土地と木々があり、管理が大変なのですが、特にいまナラ枯れが起こり、環境が悪化してきています。池迫教師はこの課題に取り組む中で、「このようないとなみが神学教育といかに切り結ぶのか、自問」していきます。それは普遍的な「信仰と行為」の問題でもあり、同時に「農村伝道」の問題でもあります。

誠実な農家の皆さんには、語られる言葉を観て、触ることができる、直感的に単なる思弁かどうかは自ずと知れるだろう。そういえば、高森草庵を訪ねた30年前、押田神父が「こんな処に(瞑想をしに)来る前に、そこらの農家に行って、教えてもらって来い!」と喝破されていた。

牧師として語るわたしの「言葉」が、単なる思弁に終わってしまっているのではないか、深い神のいとなみに繋がろうとしているものなのか、改めて問いをいただきました。特に「農のいとなみ」の中に、そのヒントがたくさんありそうです。(有明海のほとり便り no.300)

使徒信条

今日は久しぶりに「使徒信条」を皆さんと共に唱えたいと思います。

記録を探ると、2020年4月5日の主日礼拝を最後に、コロナ感染拡大から「使徒信条」を省略し、短縮礼拝としてきたことが分かりました。新型コロナウイルス感染症の理解や対策も進み、まだまだ感染対策は必要ですが、少しずつこれまでの礼拝で大切にしてきたことを戻していきたいと願っています。

けれども、そもそも「なぜ使徒信条か?」という問いを考えることも大切ではないでしょうか。ただ漠然と礼拝に向かうのではなく、そこに心を込めて行っていくことが信仰生活において必要だからです。

使徒信条の歴史はとても古く、「古代教会信徒たちの遺言」といってもよいかもしれません。教会史の中で、様々な信仰信条が生み出されてきましたが、その中でも「より古く素朴な初期教会からの信仰を反映」(『岩波キリスト教辞典』)しています。

わたしは元来教条的なものが苦手で、「信条」のような固定化されたものにそもそも抵抗があります。けれども、古代教会のキリスト者たちのほとんどが字を読めず、聖書へのアクセスはいまのように簡単ではありませんでした。「主の祈り」や「使徒信条」が、信仰生活にとって強い支えになったことは間違いありません。古代教会のキリスト者たちと共に「使徒信条」を唱えることを大切にしたいと願っています。

この中でも「陰府にくだり」という部分は紀元390年にまで遡ることが出来るそうです。現代では「陰府(よみ)」と言われてもピンと来ませんが、人生の中で出会う苦難や「地獄のような日々」に置き換えて考えることが出来ます。イエス・キリストはそのような日々のただ中にもいて下さるのです。インマヌエル(神共に)のメッセージがここにも込められています。(有明海のほとり便り no.299)

『国葬』と信教の自由

昨日、「『国葬』と信教の自由」と題して、濱野道雄教師(西南学院大学神学部長)を2・11集会にお招きし、深い学びを与えられました。

まず驚いたのは、紹介された「国葬」当日の式次第を見ると、皇族関係の時間を長く割いており、天皇制中心の式であったという点です。政教分離とは、国が一つの宗教に肩入れして不平等な扱いをすることを防ぐための大切な原則ですが、これで果たして「無宗教」と呼べるのか甚だ疑問です。そもそも人の死を悼む行為は非常に宗教的であり、靖国神社問題とも繋がりますが、国家が介入することは控えなければなりません。安倍元首相の葬儀はすでに家族で行われており、国葬は必要ありませんでした。

熊本県弁護士会はじめ全国の弁護士会が「国葬」に反対声明を出し指摘しましたが、法的根拠がなく、国会の審議も経ずに政府の独断であり、民主主義をないがしろにしたことにも問題を孕んでいます。

国が国葬を行うことによって、「命の序列化」がなされる危険性も学びました。当初予算は2.5億だったものが最終的には12.4億(!)にも膨らみ、莫大な税金を使って行った国葬は、一人の命を国がそれだけ重要視したことを意味します。けれども神さまの前で、人の命はどれもかけがえのないものであり、重い・軽いは一切ありません

「そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」(ルカ13:29-30)

最後に濱野先生が、たとえ各教会・信徒がどの立場であろうとも(正統主義・自由主義・解放あるいは物語の神学)を国葬に反対する理由があることを教えて下さり、神の平和(シャローム)の文化をつくっていくことを呼びかけたことが、心に残りました。(有明海のほとり便り no.298)

一回一回が仕始めで、仕納め

 渡辺和子シスターが著書『面倒だから、しよう』の中で、次のたとえ話を紹介しています。

江戸時代、堺の町に吉兵衛という人がいました。商売も繁昌していたのですが、妻が寝たきりの病人になってしまいました。
使用人も多くいたのにもかかわらず、吉兵衛は、妻の下の世話を他人には任せず、忙しい仕事の合間を縫って、してやっていました。周囲の人々がいいました。「よく飽きもせず、なさっていますね。お疲れでしょう」それに対し、吉兵衛は、こう答えたといわれています。
「何をおっしゃいます。一回一回が仕始めで、仕納めでございます」
…随分前のことになりますが、一人の神父が、初ミサをたてるにあたっていった言葉も、私に反省を促します。「自分はこれから、何万回とミサをたてることになるだろうが、その一回一回を、最初で、唯一で、最後のミサのつもりでたてたいと思う」

丁寧に生きること、それは神さまに与えられた「いま」を十全に生きることなのだと思います。神さまに与えられたこの<いのち>が、有限であること、そこにすでにかけがえのなさが込められているのです。吉兵衛や、渡辺シスターが出会った神父の言葉が、そのことを思い出させ、そして自分自身、中々丁寧に生きることが出来ていないことを反省させられました。

園では卒園式が間近になり、きりんさん(年長)が旅立つ日も近づいて来ました。残りの日々が、「仕始めで、仕納め」として、「最初で、唯一で、最後」の時として、丁寧に過ごしていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.296)