本日は、荒尾教会の礼拝に出席するために、わざわざ東京より保科隆牧師がお出でくださっています。わたしが保科先生に出会ったのは仙台で、当時仙台東一番丁教会を牧会しつつ教区副議長をはじめ様々な責任を担われていました。わたしは東北教区被災者支援センター・エマオに遣わされていましたが、様々な課題にぶち当たりました。その度にセンター長・上野和明牧師(当時・仙台愛泉教会)とよく話し合い祈りました。ある時、上野先生が「保科先生に相談してみよう」と提案され、二人で仙台東一番丁教会を訪問したことがあります。多くの課題があり一体何の相談だったのか、定かではありませんが…、中々答えが見い出せない中で、アドバイスをいただき共に祈ったことを覚えています。
以来、保科先生にはエマオのことだけでなく、教区の様々な働き、わたしが出席していた委員会のほぼすべてでご一緒しました。特に、東北教区が2013年10月に放射能問題支援対策室いずみを立ち上げた時には、保科先生が室長という重責を担われました。わたしは海外教会からの献金を集めたり、ゲストをご案内したりするくらいしか、いずみには関わっていませんが、保科先生がユーモアと祈りを持って導かれる姿に励まされていました。
また、東京電力福島第一原子力発電所に最も近く、教会員も原発事故によって離散してしまった小高伝道所・浪江伝道所の代務者として、ずっと支えておられました。
2016年には、保科先生は福島教会に転任されました。正直とても驚いたのをはっきりと覚えています。仙台の大教会の牧師として終えるのではなく、まさに神さまからの呼びかけ・callingに導かれて決断し歩まれたのです。再会に心から感謝いたします。(有明海のほとり便り no.345)