誰をまず招かれるのか

マルコによる福音書2章13~17節 家庭礼拝メッセージ

イエスの時代、人々は高い税金を支配者であるローマ帝国に収めなければならなかった。徴税人は、ローマ帝国に請け負った額以上に、ユダヤ人同胞からきびしく取り立て私腹を肥やしていたとも言われる。徴税人は裏切り者とされ、不正を行う者として「罪びと」と蔑まれていた。

そんな徴税人レビを、イエスは「わたしに従いなさい」と招く。そしてまず食事を共にした。しかもイエスと徴税人レビだけでなく、沢山の「罪びと」たちをそこに招いて。

当時のユダヤ社会の中で、「罪びと」と呼ばれた人たちはいわゆる「犯罪者」だけではない。異邦人、皮なめし職人、慢性の病気や何らかの障がいと共に歩んでいる人たち、とても生活が困窮している人たち、そして徴税人たち。他の大半を占める「罪びと」でないユダヤ人たちにとっては、一緒に食事をするなんてとんでもない、親しくおしゃべりすることもままならない人たちが「罪びと」だった。けれどもイエスはそんな「線引き」を大胆に乗り越えていく。

神学生時代に通った教会に、小さい頃に来ていた一人の青年が、突然教会に来てくれたことがあった。彼はアルコール依存症を抱えていた。AAなどの自助グループに繋がっていくが、何度も再飲酒を繰り返してしまう内に、ついには持っていたお金も尽き果てる。そんな中で、窃盗事件も起こしてしまった。すぐに警察に捕まり、牧師が身元引受人となっていた。牧師がある日の祈祷会で、こんなことを言われた。

「きっと、彼のような人が、誰よりもまず神さまの所に呼ばれるのだと信じています」と。 そう、神さまは最も意外な人をまず招いておられる。(有明海のほとり便り no.172)

めいいっぱい掴み取る

マルコによる福音書2章1~12節(家庭礼拝メッセージ)

イエスが滞在していた家は人々でびっしりと埋まり、他の人たちが中に入る隙間すらない。そこに、4人の男性たちが1人のマヒを抱えた男性を、横たわっている床ごと連れてきた。マヒを抱えているために、この男性は地域社会の中で拒絶されていた。

彼を運ぶ4人の男性たちが誰であったのかは、よく分からない。友人だったのか、親戚だったのか。どちらにせよ、彼を何とかして癒そうとしていることから、並々ならぬ繋がりがお互いにあったことが想像できる。

このマヒを抱えた男性と、彼を運ぶ4人が、びっしりと人で埋まっている家の中に入っていくことはもちろん出来ない。彼らはここで、誰も思い付かなかったことをやる。

家の中では、イエスが大勢の人たちに囲まれながら、一人一人から丁寧に話しを聴いていた。頭の上から突然パラパラとホコリや乾いた泥が落ちてくる。見上げると、ボコッと穴が空き、まぶしい光が部屋に差し込む。そこに男たちの顔が。そして、なんと驚くことに屋根から人を吊り下ろしてくる!

イエスがここで見つめていたもの。それはこの5人の男性たちの強い思い、神の助けや力を「めいいっぱい掴み取ろう」とする「イエス=神」への信頼。イエスはマヒを抱えた人の目をじっと見つめながら言った。「子よ、あなたの罪は赦されます」と。そして、新しい歩みへと押し出していく。 わたしたちも、この5人の男性たちの神への信頼を胸に刻みたい。特にマヒと共に歩む彼のたくましさに、神の支えからくる力、いのち、救いを感じ取っていきたい。(有明海のほとり便り no.171)

はらわたが突き動かされる

マルコによる福音書1章40~45節(家庭礼拝メッセージ)

神学校時代の恩師・荒井英子先生は、国立ハンセン病療養所「全生園」にある教会で、牧師をされた。当時の経験を振り返って言われていた言葉が胸に残っている。

入居者の方たちから聞いた言葉の中で最も辛かったのは、「身内が一番差別する」だったと。家族との関係を断つために、療養所に隔離されたハンセン病の方たちは、まず自分の名前を捨て、他の名前を使うことが求められた。全国にある各療養所には納骨堂が必ずあるが、骨になっても家族のもとに帰れない遺骨が23,000体余りも眠っている。一番支えになるはずの家族が、一番加害者になってしまう現実が差別にはある。「重い皮膚病」を患った彼も同じような差別・痛みの中で、イエスと出会った。

イエスは彼の申し出を断わらない。41節で彼のことを「深く憐れんだ」とあるが、ギリシャ語では「内蔵」に由来する言葉。ユダヤ社会では内臓は人間の深い深い感情が宿るところだと考えられていた。日本語でも「はらわたが突き動かされた」と言うが、同じような響きを持つ。

「憐れむ」と言うと、憐れむ側はどこか上に立ち、安全地帯にいるかのように感じる。それでは本当の「痛みの共感」にはならない。しかし、そうではない。イエスはここで、重い皮膚病の人にはらわたを突き動かされる。だからこそ、一歩踏み出していく。安全地帯にはいない。手を伸ばしてその人に触れ、「けがれ」を共有し「清くされなさい」と宣言する。すると「重い皮膚病」は治り、彼は清められたのである。

新型コロナウイルスに感染した方たちの痛みに、「はらわたが突き動かされ」安全地帯にはいないイエスの姿が見えてくる。(有明海のほとり便り no.170)

8/2,9,16→家庭礼拝へ

近隣で新型コロナウイルス感染が蔓延する中で、礼拝の持ち方を次のようにいたします。

①8月2日、9日、16日の会堂での主日礼拝を休止します。

②各自で家庭礼拝をお守り下さい。牧師は同時刻に会堂で家族とともに小礼拝を献げます。

③そのために週報を郵送します。

④山田原野教師の副牧師就任式および役員会は9月6日へ延期します。

8月23日には会堂での礼拝を再開したいと願っていますが、状況を見て難しいと判断した場合は、延期いたします。

市内での新型コロナウイルス感染を受けて

荒尾市の方、また大牟田でも立て続けに8名の方が新型コロナウイルスに感染されました。その方たちの回復を祈りましょう。

教会・幼稚園としても蔓延防止のための対応を取っていかなければなりません。まず教会では短縮礼拝をもうしばらく継続させたいと思います。もし感染が市内で広がっていく場合は、再び家庭礼拝に切り替えていくことも役員会で検討したいと思います。

特に難しいのは、幼稚園での対応です。そもそも幼児教育において、三密を避けることなど不可能です。保護者・教職員にも様々な受け止め方がある中で、どのような対策が最善なのか、正直頭を抱えています。行政とも連携しつつ判断しなければなりません。

同時に、濃厚接触者あるいは感染者が園児・教職員に出た場合も想定しておく必要があります。ここで何よりも避けたいのは「感染・濃厚接触=悪」という図式です。緊急事態宣言が解除され、それぞれが悩みつつ三密を避けつつ社会生活を営んでいます。むしろ正直に感染や濃厚接触の情報を伝えてくださったこと、さらなる感染を防ごうとしてくださっていることを感謝すべきです。そうすることで、「次の感染隠し」も防げるはずです。

先日国連が「自然破壊や気候変動が続けば、新型コロナウイルス感染症のような病気が増える」と報告しています。世界規模の自然破壊をつくり出しているのは、資本主義の過剰な利益追求であることは明らかです。そのような社会・世界を造り出してしまっている私たち自身の罪を神と隣人とに告白し、そこにこそ目を向けて、神の国の建設へと向かっていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.169)

山田原野教師准允式・就任式

山田原野教師の准允式および山鹿教会就任式が無事終わりました。

准允式とは「(補)教師」として日本キリスト教団が任命する式です。従来教区総会時に行われるものです。教会で行われる准允式に参加したのは生まれて初めてで、感銘を受けました。

よくよく考えてみれば、教会や学校、社会福祉施設などの現場があって、初めてその者は「教師」となっていくわけですから、教会で行うということは、とても理にかなったことでもあります。信徒の方たちにとっても感慨一塩だったのではないでしょうか。また、私自身が准允を受けた9年前の初心を、思い起こす時ともなりました。

その後、みんなで龍泉閣まで移動して、昼食会となりました。13時からということで、温泉に入る時間も作って下さっていました。司式をして下さったK教区議長は、週何回も温泉に入る程、通の方です。以前、キリスト教保育連盟の研修でご一緒した際にも、研修の合間(講習をスキップして?)に温泉を楽しまれていました。その日下部先生もとても喜んで下さっていました。

美味しい昼食をいただいた後は、それぞれから山田先生へお祝いのメッセージを贈りました。K議長からは、同窓のS牧師が山鹿教会を牧した後、しばらく牧会から離れたけれども、いまは教会で頑張っていることをご紹介されました。小平牧師からは、山鹿教会・霊泉幼稚園ともに、いま追い風を受けつつあるので、それに甘んじることなく、積極的にチャレンジをしていってほしいと励ましの言葉を贈られました。

山田原野教師の働きに大きな祝福がありますように。(有明海のほとり便り no.168)

キリストと共に生きる生活

牧師は、ただ教会員の自由意志による献金によってのみ生活し、場合によってはこの世の職業につかなければならない。教会は、人間の教会生活のこの世的な課題に、支配しつつではなく、助けつつ、そして仕えつつあずからなければならない。教会は、あらゆる職業の人々に、キリストと共に生きる生活とは何であり、<他者のために存在する>と言うことが何を意味するかを、告げなければならない。・・・教会は、人間的な<模範>(それはイエスの人間性にその起源を持っているし、パウロにおいては非常に重要である!)の意義を過小評価してはならないだろう。概念によってではなく、<模範>によって、教会の言葉は重みと力を得るのである。

ナチスに抵抗し捕らえられた神学者ボンヘッファーが、獄中で綴った教会論です。教会を鋭く問いかけています。

けれども実際には、私たちは<模範>とはなり得ないような弱さや罪を抱えています。しかしそれでも、いやそれだからこそ、イエス・キリストを<模範>とし「キリストに倣う者」(Iコリ11:1)としての歩みへと招かれているのです。それは、この世・社会と切り離された隠遁生活ではありません。むしろ社会の痛みの中で、「概念」にだけ逃げるのではなく、助け合い仕え合っていく歩みへと。まさに礼拝からそれぞれの現場へと押し出され、遣わされていく生き方なのです。

そう考えた時に、荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園の働きが見えてきます。概念によってではなく、イエス・キリストの<模範>によって、ここ荒尾で神の言葉を分かち合っていきたいと祈ります。(有明海のほとり便り no.167)

内実を問う

遣わされた教会を閉じなければならないとき、牧師は深く傷つきます。無力さや敗北感にさいなまれ、召命や信仰を見失うことさえあります。そして牧師だけでなく、残された信徒たちも傷つき苦しむことになります。…一度できた教会がなくなることは、地域にも傷を残します。発展していく町には学校や病院ができ、商店が増え、歓楽街がにぎわい、教会も伝道にやってきます。しかし、町がさびれると学校も病院もなくなり、商店も飲み屋も、そして教会も去っていきました。その事実は、見捨てられた地域にずっと残ります。その後で再び「隣人愛」とか「信徒の交わり」などを説かれたとしても、その内実はどうかと、地域の人々はじっと見定めているのです

久世そらち牧師(札幌北部教会・教団副議長)が『信徒の友7月号』に書かれていました。北海教区や九州教区などでは、過疎化や少子高齢化の中で、確実に教会員の数が減り、場合によっては他教会と合併や、解散を余儀なくされています。またいま新たに新型コロナウイルスという重い現実を前にしています。

この荒尾教会においても、決して他人事ではありません。この地域における人口減少も避けがたい現実です。また、山鹿教会を代務した1年では、ますますこのことを思わされました。問われるのは、私たちの「信仰の内実」なのでしょう。

この荒波を前に、荒尾めぐみ幼稚園・霊泉幼稚園は学法を同じくして、共に歩み始めています。では、教会はどうでしょうか。山田教師を副牧師として招聘した意味を、改めて深めていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.166)

コプト教会

本日メッセージで触れるエジプト・アレクサンドリア教会は古代キリスト教にとってはローマ教会と同様に重要な教会でした。

エジプトではイスラム教が支配的になっていく中で、アレクサンドリア教会はキリスト教信仰をコプト教会として守り続けていきます。エジプトではおよそ90%がイスラム教徒であり、10%がキリスト教徒です。エジプト社会ではキリスト教徒に対して様々な形での差別や偏見が残っています。

アメリカの大学に留学していた時に、親友の一人がエジプトからの留学生Haniでした。彼はコプト教会の信徒でありエジプトからの留学生たちの中ではマイノリティでした。私も同じキリスト者として、また理系同士共感し合う部分が多く、よく一緒に食事や映画に出かけたことを思い出しました。けれども、留学先の大学の周りにコプト教会はなく、最寄りのコプト教会は国境を越えたカナダにありました。

9・11同時多発テロが2011年に起こり、エジプトを含む中東からの移民や留学生に対しての差別や暴力が頻発していきました。アメリカ政府はHaniが国境を越えて教会に通うことを許可せず、移動を制限しました。その時の彼の悲しい・悔しい表情が、今もはっきりと思い出されます。

Haniはそのまま大学に残り、生命情報科学で博士号を取得、国立衛生研究所(アメリカのコロナ対策拠点の一つ)でポスドクをし、今はテキサス州立大学で助教授として頑張っていることを知り、とても嬉しくなりました。

世界の教会に集うキリスト者たちの、今日の礼拝が守られ祝されますように。 (有明海のほとり便り no.165)

雨の音や風の音が聞こえる

今日は花の日・こどもの日です。18世紀なかばアメリカの教会で、一年で最も多く花が咲くこの時期に、教会にそれぞれが花を持ち寄り、子どもたちの祝福を祈り、そして礼拝後その花を子どもたちがお見舞いに届けたことから始まりました。

けれども、いま子どもたちを取り巻く日本の社会環境は、決して祝福にあふれたものだけではありません。厚労省の報告によると、虐待による子どもの死亡事例は年間50件を超えています。心中による虐待死もここに含めると、もっと増えます。つまり、私たちが毎週教会に集い礼拝を献げ各々派遣されていくその間に、毎週一人以上の子どもが虐待によって命を奪われているのです。この現実を、忘れてはいけません。

虐待された子どもたちのためにシェルターを造った坪井節子弁護士が、『奪われる子どもたち』という本の中でこのように書かれていました。

子どもを決してひとりにしない、それと同時に支援する大人もひとりにしない。役割、機関は違っても傷ついた子どもに向き合う、弱い大人たちとしてしっかりスクラムを組もう。…どんなに試しても暴れても、このスクラムが崩れないとわかったとき、色々な仕方で子どもが心を開いてくれる瞬間がくるのです。拒んでいた食事を食べ始めたり、ぽつぽつ話を始めたり。「雨の音や風の音が聞こえる」とか「空ってきれいだね。初めて空見た。ずっと下向いて生きてきたから」と語る子がいました。

「雨の音や風の音が聞こえる」社会、小さな花の美しさが感じられる社会を、子どもたちと共につくり出していきましょう。(有明海のほとり便り no.164)