検温・手洗い・消毒・間隔を空けての着席をお願いしています。
第5波が広がる中、短縮礼拝(約40分)を継続しています。
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私が生まれた当時住んでいたのは埼玉県坂戸市にある団地でした。そこから、小学2年生に上がる時に、母方の祖母たちと同居するために東京の東村山に引っ越してきたのです。東村山に移ってよかったのは、市立図書館がとても身近にあり、自転車で通える範囲にいくつもあったことです。
小学5年生の頃でしょうか、読書にハマり、夏休みや土曜日の朝に図書館に行っては3冊借りて、一日の間に読んで夕方に返しに行ったこともありました。ハマった本の一つが「ズッコケ三人組」シリーズです。ハチベエ・ハカセ・モーちゃんと呼ばれる3人が様々なハプニングを乗り越えていくストーリーに引きつけられました。よく通う図書館の「ズッコケ」コーナーに行っては、新たな本が入っていないか、読んでいない本が返却されていないか探すのが常でした。
この3人が、性格や興味・関心、学校の成績や体格、さらには家庭環境においてもてんでバラバラなのが面白く、人間の持つ多様性や柔軟性そして友情に出会ったのも「ズッコケ」シリーズでした。
先月、作者の那須正幹さんが74歳で召されたことを知って、そのことを思い出したのです。記事を読むと、那須さんは広島市で生まれ、3歳のときに爆心地から約3キロのところで被爆されたそうです。同級生の多くは被爆して親を亡くしていました。ズッコケ三人組のモーちゃんは、離婚による母子家庭で元気に育っているという設定でしたが、背景には那須さんの幼少時の出会いがあったのかもしれません。
那須さんは精力的に書き続けた作家でしたが、『絵で読む広島の原爆』や『ねんどの神さま』など、平和をテーマにした作品もあることを知りました。早速、読みたいと願っています。(有明海のほとり便り no.225)
岩高澄(きよし)牧師より、「原稿・文書」と書かれたレターパックが届きました。いま岩高先生はこれまでの人生を振り返る文章を綴っておられ、荒尾時代部分の原稿を送って下さったのです。早速読ませていただき、荒尾教会牧師・荒尾めぐみ幼稚園園長として深く共感するとともに、それ以上に、一人の牧会者として奮闘される姿に、励まされました。
岩高先生の初任地は越生(おごせ)教会(埼玉)、そして須崎教会(高知)と、それぞれに附属幼稚園があるため関わってこられましたが、園長となるのは荒尾が初めてだったそうです。
「荒尾教会での三年間は、まさに幼稚園に明け暮れておりました。一つにはそれが荒尾教会の存亡に係わることでしたが、施設の改善というだけのことではなく、教育そのものが根本から問い直される時期でもあったのです」
原稿には岩高先生が過ごした3年間をイキイキと綴られています。
園バス運転手が不在で一人で運転を引き受けた苦労、荒尾市私立幼稚園連合会での問題提起、発達障がいと共に歩む子どもたちとの出会い、保護者との繋がりや支え合い、「三段の土地」が職業訓練校の実習地にしてもらい均してもらったこと、長く出席していなかった教会員が復帰して下さったこと、教会学校の夏季キャンプを阿蘇YMCAで行ったこと、礼拝堂に附属した6畳間と広い廊下が牧師館だったのを、教会員みなで献金を募り牧師館を建築したこと。
荒尾教会で歴史を振り返る時、直接的な出会いが深い小平牧師や星牧師時代の話しがついつい多くなります。けれども、岩高牧師の働きや信仰の先達たちの働きも、いまの荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園の根っこに確かに流れていることを、神さまに感謝したいと願っています。(有明海のほとり便り no.224)
K:(有明海を見ながら)「ねえねえパパ。宇宙と地球はどっちが大きいの?」
M:「宇宙だよ。宇宙の中に、地球があって、月もあって、太陽もあるんだよ。」
K:「宇宙や地球は神さまが創ったんでしょ?」
M:「そうだよ、神さまが創ったんだよ。」
B:「神さまはどんなふうに宇宙を創ったの?最初はどうだったの?」
M:「うーん。それは人間にはまだまだ分からないんだ。宇宙の最初はビッグバンだったみたいだけど…。」
「私たち人間に分かっていることは、本当にわずかなんだ。ほら、あそこのお庭に木が一本植わっているでしょう。あの木一本にしたって、人間にはまだまだ分からないことが詰まっているんだよ。さらに木が集まって、あそこの四ツ山みたいになったら何になるんだっけ?」
K:「…何だっけ?」
M:「森になるよね」
B:「パパ、木が集まったらまず林になるんだよ。それから森の順番だよ!」
M:「確かにそうだけど(^_^;)…林に木が増えたら森になるよね。最近の研究で分かったんだけれど、森の木は木同士でお話ししているんだって。根っこから目には見えない物質(菌根)を出して、『助けて』とかを伝えているんだって。(神さまって)すごいねぇ。」
K&B:「へぇ、それはすごいね~」
科学者ニュートンは、自分は未知の大海原を前にして海岸で遊んでいる子どもに過ぎないと言いました。科学は神の創造の不思議・美しさを味わう学問であり、そして、私たち人間が神ではないという、当たり前だけれども肝心なことを伝えているのです。(有明海のほとり便り no.223)
江藤直純著『ルターの心を生きる』を(ようやく?)読み終えました。実は、一ヶ月前に著者の江藤先生からメールを頂きました。先生が本について検索したところ、荒尾教会のHPに繋がり、私を見つけて嬉しかったと。すぐにでも返信したかったのですが、読み終わっていないのに、しかも適当なことを書くわけにもいかない(!)と、より丁寧に読みました。
「アウグスブルグ信仰告白」を聞いたことがあるでしょうか。私自身、神学校の歴史神学で(ちらっと;)学んだ程度でしたが、今回この信仰告白が「ルーテル教会にとっては重要」(p.322)であることを学びました。ルターを思想的に支えたメランヒトンがアウグスブルグで起草したものです。
信仰告白第16条「国の秩序とこの世の支配について」には「キリスト者は、政府、諸侯、裁判官の地位に罪を犯すことなく就くことができ、判断や判決を下し、悪人を剣によって罰し、正しい戦争を行い…」とあります。この「正しい戦争」を巡って、次のよう綴られていました。
「ルター研究所訳の『アウグスブルグ信仰告白』に収められている鈴木浩先生の解説の中で、中世以来厳密な規定の下に神学的に肯定されてきた『正しい戦争』は、核兵器をはじめとする大量兵器の出現と、戦闘員と非戦闘員とを区別しない戦略の変化により、ポスト・ヒロシマ/ナガサキの現代ではもはや支持され得ない」(p.353)。
そうです!どの戦争も常に「正しい」ものとして、「国を守るため」として始められていきますが、その結果傷つくのは誰でしょうか? 76年前の広島・長崎で、日本各地で、そしてアジア・太平洋で殺された<いのち>を思う時、「正しい戦争」など存在しません。非暴力を貫かれたイエスによる「神の平和」を祈り作り出していきましょう。(有明海のほとり便り no.222)
引き続き江藤直純著『ルターの心を生きる』を読み進めています。
大きなインパクトを残したマルティン・ルターですが、神格化することは避けなければなりません。特にこの8月にルターの負の遺産として受け止めなければならないのは、「ユダヤ人との関わり」です。
反ユダヤ主義の歴史は古く紀元前のヘレニズム・ローマ時代まで遡ります。そこに「キリスト教以後の反ユダヤ主義は合流し、それはキリスト教世界となった中世でもさらに強まりながら続き、中世末期のルターたちもその中で生きた」(p.219)。「ユダヤ人は『キリスト殺し』の責めを負わされ、やがてヨーロッパというキリスト教が圧倒的多数を占める社会の中で、キリスト教に改修せず…排除され、さまざまな差別と偏見、ときに迫害を受けていきます」(p.220)。
しかし初期のルターは「抜きん出てユダヤ人に好意的」(p.221)でした。「イエス・キリストはユダヤ人として生まれた」というタイトルの小冊子を発行し、「彼らは実際には我々よりもキリストに近い」とまで言っています。
けれども晩年のルターは厳しい口調で「シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)や学校を焼き払い」、「住宅を破壊し」、「祈祷書やタルムードを没収し」、青年たちに労働を強いることを言ってしまいました。「幸いというべきでしょうが、この勧告は実践に移されることはほぼありませんでした」(p.225)。けれども、近代に入りナチス・ドイツによって、600万人を超えるユダヤ人虐殺の根拠に、このルターの言葉が使われてしまったのです。
ドイツの教会はこの歴史を深く反省し、「ホロコーストへの「共同責任と罪責」の告白…ユダヤ人が今も「神の民」として選ばれており…キリスト教への改宗を求めての電動は不必要」(p.232)と宣言しつつ歩まれています。(有明海のほとり便り no.221)
オリンピックのためにとてつもない練習と研鑽を積んできた、世界各地からの選手たちには、純粋にがんばってほしいと願います。
けれども、このタイミングで「東京」オリンピックを開催する必要がどうしてもあったのでしょうか?
私は大きな違和感を覚えています。東京都の新型コロナウイルス感染症の新規感染者数は1000名を超え、重症患者も74名いらっしゃいます。そして、報道によると「在宅を強いられた女性たちへの暴力や望まない妊娠の相談件数増加」「休業を余儀なくされた非正規雇用者の女性は5人に1人」「2021年1~6月の女性の自死者は前年同期間に比べ25%増(男性は7.2%増)」(週刊金曜日)とあります。コロナ禍は、感染症としてだけでなく、社会的暴力としても人を傷つけているのです。また、会場付近で生活するホームレスの方たちが追い出されることが続いています。これらはウイルスによる災害ではなく、人間によって引き起こされている人災です。
神さまから与えられた、かけがえのない<いのち>よりも大切なものとは一体何でしょうか?
今回の東京五輪で1兆円を超えるお金が使われていますが、これだけのお金があれば、「生きながらえる」ことが出来る/出来た人たちがどれだけいるでしょうか。
来週は8月に入ります。「平和」について思い巡らし・祈り・行動する月です。「東京」オリンピックの熱狂の中でこそ、「神の国」について「神の平和」についてしっかりと思いを向けていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.220)
昨日、心配なことがあり、かかりつけの小児科へ行きました。先生に相談すると「お父さん今日5時間くらい時間を作れますか?」と聞かれびっくりしつつも「はい」と。すると、「聖マリア病院に紹介状を書くから行ってみて下さい」と言われ、一旦牧師館に戻り二人で向かいました。
名前は聞いたことがあったのですが、久留米にあることを昨日初めて知りました。1時間以上運転して到着すると、思っていた以上にずっと近代的な大病院でした。子どもと二人ですごいねぇと、玄関に向かい自動扉を開けて入ると、目の前の電子掲示板には詩篇の言葉が綴られていました。箇所を思い出せないのですが、癒やしの詩篇でした。それを見て、私はとても嬉しくなり、励まされました。「神さまが共にいて下さる」と感じたのです。
大病院なので土曜日にも関わらず小児科は忙しそうでした。大分待って診断を受けるとレントゲンを撮ることになり、隣の病棟まで移動しました。私は一人レントゲン室前のベンチで待つこととなりました。複数枚丁寧に撮っていただくために、15分位でしょうか、随分長く待ちました。普段だったら、こういった待ち時間は、持参した本を読んで過ごしますが、どうにも心配が募り、それどころではありません。何も手につかずにいると、ふと廊下に聖母子像の絵が掲げられていることに気付きました。まさにここに掲げることが相応しい絵だったのです。
赤ちゃんイエスが生まれてきたのは、薄暗い家畜小屋でした。それは、闇の中に確かに灯るろうそくの光のような希望です。レントゲン室前の廊下で、検査を待つ患者さん・ご家族の心にも、温かい光としてイエスさまは確かに寄り添っておられるのです。この絵を見ながら、紹介していただいたのがキリスト教病院だったことは、神さまの導きだったと気付かされました。(有明海のほとり便り no.219)
日本キリスト教団では、1975年7月に「部落差別問題特別委員会」の設置を決議し、教団全体としての取り組みを始めていきます。この出発点を覚えて、7月第2主日を「部落解放祈りの日」としています。
荒尾に赴任してきて初めて、この荒尾にも被差別部落があったこと、そして部落差別があることを学びました。そのような中で、特に幼保小中高において、部落差別をなくすためにコツコツと活動を続けておられます。
人権啓発センターに集った時に、こんな話しを伺いました。
ある方のところへ一本の電話が最近入ってきた。それは、荒尾を離れて遠くに住む知り合いからだった。聞くと、どうも子どもの結婚する相手が荒尾の人間だということで、その相手の出身地が「(被差別)部落」かを聞いてきたのだ。電話を受けた方は、「(被差別)部落」かどうかを気にすること自体が時代遅れであり、おかしいと答えた。
いまだにこのような差別が身近にあることを学び、がっかりすると共に、この差別を被ってきた痛みはいかばかりだったかと感じています。荒尾市HPには次のようにありました。
部落差別の現状は、結婚差別や就職差別など心理的差別が根強く残っており、「身元調査事件」、「土地差別事件」、「差別発言・落書き事件」、「えせ同和行為・関連事案」が発生しています。また、インターネットの普及に伴い悪質な部落差別に関する情報が氾濫しており、人権侵害につながる事案が複雑多様化しています。
歴史を振り返れば、キリスト教会においても、部落差別事件が起こりました。荊冠の主イエスと共に、差別を乗り越えていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.218)
我が家は「別姓」で生活をしているので、初めてお会いする方たちの中には、少し混乱される方もいらっしゃいます。一日も早く「夫婦別姓」制度が実現することを願いつつ、今は暫定的に私が戸籍名を「後藤」としているので、子どもたちも「後藤」で生活しています。つまり「家族別姓」なのです。病院や銀行などで「後藤」姓を使わざるを得ないのですが、「後藤さん」と呼ばれても、自分のことが呼ばれているのに気づかないようなときもしばしば。「何だか不自由な社会だなぁ」とつくづく感じています。
一番問題に感じるのは、姓の選択の自由があると言いながら、実際は女性が改姓するケースが96%にも及ぶという事実です。これは「女性が結婚したら夫の姓を名乗るもの」という旧来の「家制度」(〇〇家に嫁ぐ)から来る考え方が根強く残っているからです。世界的に見てもこのような制度が残っているのは日本くらいですし、もちろん聖書が語る福音とは逆行するような考え方です。
「姓を変える」というのは思っている以上に様々な所に不具合が生じます。免許や銀行などの名義変更ももちろん面倒なのですが、研究者などの場合はこれまでの業績が分かりづらくなってしまったりもします。ましてや名前というアイデンティティに関わる根幹を揺るがすものでもあるのです。
ここ数年、選択的夫婦別姓制度が国会でも実現に向けて、ようやく少しずつ動き始めました。「選択的夫婦別姓制度」とは、これまで通りの「夫婦同姓」も、変えない「夫婦別姓」の自由も認めるものです。 先日の最高裁判決では「別姓訴訟」が敗訴しましたが、裁判官15人の内、夫婦別姓を認めないことは違憲と判断した4名の裁判官による意見には希望を感じるものでした。(有明海のほとり便り no.217)