田中従夫牧師は、1954年春から1966年春まで、熊本坪井教会を牧会されましたが、その間、荒尾教会が無牧師になった際に代務教師となり支えて下さいました。
あのなだらかな丘の上の教会堂内外の光景が目に浮かびます。山羊が飼われていたこともありました。山羊の乳を食料の補給とされた牧師先生のご苦労も想い出します。私も時々御教会が無牧の時などに礼拝説教に招かれ参上したこともあります。…牧師をなさった方の中で唯今東洋英和女学院大学で宗教主任をしておられる浜辺達男先生には、東北で神学会の折にお逢いして、坪井教会と荒尾教会の合同の夏期修養会が楽しかったことなど話し合いました。四日市教会の牧師井柳福次郎先生には改革長老教会協議会で何度かお目にかかり、御健闘ぶりに接し嬉しく思いました。必ず年賀状を下さる工藤真二兄は熊大(花陵会)出身で、唯今も荒尾在住ですね。オーガニストをしておられ、唯今は高松在住の平尾昌子様(旧姓がどうしても想いだせません)が東北旅行の序に、仙台東一番丁教会の牧師館をお訪ねくださいまして、折柄の七夕祭りのご案内をしたこともありました。
田中先生はあくまで「時々」手伝っただけに過ぎないと書かれていますが、実際の働きにはもっと深く多岐に渡ったようです。坪井教会(現・錦ヶ丘教会)との夏の合同修養会は無牧期間中も続き、5代目の樋口牧師の際も聖餐式のために毎月のように通って下さったと記されています。経済的にも坪井教会からの大きな援助がありました。その背景には、田中先生をはじめとする坪井教会の方たちの祈りがありました。
田中先生が赴任された仙台東一番丁教会には、私が仙台にいた際に何度も訪問しお世話になった教会の一つです。
ここにも不思議な導きを感じています。(有明海のほとり便り no.234)