詩「永遠」(作:Y.H.)

孫、千晶が生まれ
この世界は千晶のいる世界となった

父、秀雄は亡くなり
この世界は父のいない世界となった

二千年前、主イエスは生まれ
この世界は主イエスのおられる世界となった

十字架で死なれ、墓を破って復活され
そしてこの世界は
永遠に主イエスのおられる世界となった
この世界は
永遠の命につながる世界となった

Yさんの詩が、『信徒の友6月号』で選ばれました。深い感動を覚えました。選者の詩人・岡野恵理子さんが次のように評しておられます。

「第一連は意味深い。愛する人の存在は世界を一変させてしまうほど大きいのだ。そして主はいつも変わらず存在しておられた。」

福音は、「福なる音」と書きます。詩で福音を証しすることは、長々しい文章で福音を描くよりも、時にずっと深く、そして広いことに気付かされます。Yさんの持つ福音の詩心を、わたし達も大切にしていきましょう。(有明海のほとり便り no.262)

活水女園と長洲

先日、キリスト教保育連盟九州部会設置者・園長研修会が行われました。コロナ禍のため、昨年に引き続きオンラインでの研修となりましたが、わたしは部会長として配信作業の責任も担いつつ、直接講師の前田志津子先生より伺うことができ、大きな刺激をいただきました。

さて、講演前に前田先生より『活水女園の変遷を支えた人たち』という論文をいただきました。前田先生は長崎にある活水女子大学で教えられていましたが、その創設者であるエリザベス・ラッセル宣教師(アメリカ・メソジスト監督教会より派遣)が、熊本で「活水女園」という児童養護施設を設立していたことを初めて知りました。この女園は、1891年10月28日に発災した濃尾地震によって熊本沿岸部で孤児となった少女たちを受け入れるために建てられたそうです。この女園の働きを担ったのが活水学院の卒業生たちでした。

しかも、前田先生は、荒尾が長洲の隣であることを伝えると、「ぜひ一度活水女園の歴史を詳しく調べるために、長洲に行ってみたい」と仰るのです。

活水女園がどこに建てられたのか史実としては未確定な部分があるそうです。二つの可能性があり、長洲に建てられた可能性と、熊本市九品寺、つまりいまの熊本白川教会に隣接する王栄幼稚園の場所に建てられた可能性があると。当時、長洲周辺の沿岸部にも、被災した子どもたちが多くいたそうです。どちらにせよ、数年後には福岡県古賀村へ移転していきました。

前田先生から「長洲」が出てきてとても驚きました。わたしが知っている範囲では、長洲町にキリスト教会はありません。けれども、100年以上前に、イエス・キリストに倣い、この地を訪れた先達がいたことを胸に刻みたいと思います。(有明海のほとり便り no.261)

クチナシの花びら

久しぶりの教区総会でした。時間を短縮するために、できる限り議事を絞り込み行われました。わたしは議事運営委員に選ばれたため、議場の前方に用意された机に座り過ごしました。タイムキーパーとしてハラハラしていましたが、時間内に無事終えることが出来ました。

やはり対面でないと出来ないことがあることを痛感しました。特に議論の深まりに関しては、議場にいないと分からない部分が多いのです。議案によっては、意見が対立するもの、痛みをもって全員可決するもの、喜びをもって話し合われるものなど、様々です。Zoomなどのオンライン会議も、少人数ならば出来るかもしれませんが、100名を超える者たちが集うとき、目には見えない思いは対面でなければ中々伝わりません。

さて、逝去教師追悼式は2019年度~2021年度までに召天された教師11名を覚えるものでした。とてもお世話になった梅崎啓子さん・浩二教師(元・大牟田正山町)のお父様・橋本高幸教師も、そのお一人でした。幼稚園を手伝って下さっているTさんが、橋本先生が長く牧会した犀川教会の週報に掲載した「福音博物誌」をまとめた小冊子を貸して下さいました。橋本先生は虫や鳥、植物など「博物」的知識を聖句と繋げつつ綴っておられます。その中で、敗戦後、満州から引き揚げて家にたどり着いた時を振り返っておられ、胸を打ちました。

こんなにも、平穏無事な麦秋の宵に、なぜ、引揚げのこと、戦争のことを思わねばならないのでしょうか。それは、この平和という現実が、たとえば咲き初めのあのクチナシの花びらのように、いかにも傷つき易いものであるためなのかもしれません。  「平和をつくりだす人たちは、幸いである。」(マタイ5章9節)

(有明海のほとり便り no.260)

多くの祈りが注がれた結婚式

4月30日(土)、Sさん・Iさんの結婚式の司式を行いました。場所は神奈川県逗子にある「SYOKU-YABO農園」という農園レストランでした。農園のど真ん中で行う式です。3月に行った最後の結婚準備会で、プランナーの方にここの会場写真を見せていただいた時…驚きました。こんなにユニークな場所で、結婚式の司式をしたことはなかったからです。おそらく他の牧師たちに聞いても同様の答えが返ってくるでしょう。

けれども、とっても嬉しかったのです。野の花が、空の鳥が、そして木々が一緒に参列してくれているこの場所を、神さまが喜ばないはずがないからです。当日は天気を心配していましたが、気持ちのよい晴天に恵まれました。

さて、Iさんはキリスト教のご家庭で育たれ、いまも教会に通われています。Sさんは、そうではありません。むしろSさんのお祖父さまはお寺のご住職であったと伺いました。キリスト教の式でしたが、準備会の中で、Sさんから数珠をどこかに置いてもいいだろうかと質問がありました。すでに召されているおじいちゃんの思いも一緒に式を持ちたいのだと。即答はせず、少し考えさせてもらいました。そして、気づかされたのです。

数珠は仏教においては祈りのシンボルの一つです。そして、人の祈りは、宗教を超える普遍性を持ったものです。つまりこの結婚式に、多くの祈りが注がれているということを。キリスト教のご家族から、仏教のご家族から、多くの友人・知人たちから。そして、すでに召されてSさんのおじいちゃんや、Iさんのお父さんから…。

その祈り一つ一つを、神さまは喜んでいるはずです。

結婚したお二人に豊かな祝福がありますように。(有明海のほとり便り no.259)

名もなき人として

1952年にノーベル平和賞を受賞したアルベルト・シュヴァイツァーは、21歳の時、「30歳までは学問と芸術を身に付けることに専念し、30歳からは世のために尽くす」と決心しました。事実30歳になってから医学部に入り直し、38歳でアフリカへと医療活動のために旅立ちました。この医療活動のために全財産を費やします。しかし、第一次世界大戦や第二次世界大戦が起こる度に、翻弄させられました。アフリカでの献身的な医療奉仕活動が高く評価されたキリスト者ですが、シュヴァイツァーは新約聖書学者でもありました。そのシュヴァイツァーがマルコによる福音書1章16~20節を巡って次のように語っています。

「かつて湖のほとりで、彼が誰であるかを知らなかった人々のところにイエスがやって来た。同じようにイエスは私たちのところにも見知らぬ人、名もなき人としてやってくる。その人は私たちに『私についてきない』と同じ言葉を語り、私たちの時代のために私たちがなすべき課題を私たちに与える。その課題に向き合う苦難の中で、イエスはようやく自分自身を現すであろう」

それぞれの場で神さまから与えられた働きがあります。それを全部投げ捨てて神に従えという意味ではないでしょう(もちろんそのような決断を求められる時もあるかもしれませんが)。

それよりも、<いま・ここ>で、見知らぬ人、名もなき人としてやってくるイエスに、出会っていくことが大切なのではないでしょうか。そしてそれは、平凡あるいは単調と思える日々の中でこそ、実はそのような出会いが与えられているのかもしれません。(有明海のほとり便り no.258)