先日、キリスト教保育連盟九州部会設置者・園長研修会が行われました。コロナ禍のため、昨年に引き続きオンラインでの研修となりましたが、わたしは部会長として配信作業の責任も担いつつ、直接講師の前田志津子先生より伺うことができ、大きな刺激をいただきました。
さて、講演前に前田先生より『活水女園の変遷を支えた人たち』という論文をいただきました。前田先生は長崎にある活水女子大学で教えられていましたが、その創設者であるエリザベス・ラッセル宣教師(アメリカ・メソジスト監督教会より派遣)が、熊本で「活水女園」という児童養護施設を設立していたことを初めて知りました。この女園は、1891年10月28日に発災した濃尾地震によって熊本沿岸部で孤児となった少女たちを受け入れるために建てられたそうです。この女園の働きを担ったのが活水学院の卒業生たちでした。
しかも、前田先生は、荒尾が長洲の隣であることを伝えると、「ぜひ一度活水女園の歴史を詳しく調べるために、長洲に行ってみたい」と仰るのです。
活水女園がどこに建てられたのか史実としては未確定な部分があるそうです。二つの可能性があり、長洲に建てられた可能性と、熊本市九品寺、つまりいまの熊本白川教会に隣接する王栄幼稚園の場所に建てられた可能性があると。当時、長洲周辺の沿岸部にも、被災した子どもたちが多くいたそうです。どちらにせよ、数年後には福岡県古賀村へ移転していきました。
前田先生から「長洲」が出てきてとても驚きました。わたしが知っている範囲では、長洲町にキリスト教会はありません。けれども、100年以上前に、イエス・キリストに倣い、この地を訪れた先達がいたことを胸に刻みたいと思います。(有明海のほとり便り no.261)