本日、山田原野教師が按手礼式を受けられます。普段の教会・園業務に、園舎建築への働きが加わり多忙を極める中で、さらに正教師試験が重なりました。その準備はとても地道で忍耐を要するものです。倦まず弛まず最後までやり切った原野先生に、そして山鹿教会に心からのお祝いを送ります。これからの牧師としての歩みが守られ導かれることを、祈りましょう。
「按手」とは頭に手を置いて祈る所作のことです。日本キリスト教団においては、正教師が志願者の補教師の頭に手を置いて祈り・祝福し、新たに正教師としての歩みへと遣わすことを意味しています。また、正教師になることによって、はじめて聖礼典(洗礼と聖餐)の執行が出来るようになります。これは「教規」という教団ルールブックの第104条に定められています。
わたしは東北教区で受按しましたが、なぜ正教師を志願するのかと教区面接で問われた際、小さな地方教会での宣教に資するようにと答えました。いずみ愛泉教会が属する宮城北地区の教師たちで、T教会の礼拝説教応援に行っていました。山鹿教会と同じくらいの規模で、幼稚園もある教会です。わたしは、いずみ愛泉教会の副牧師で主任ではなかったので、数ヶ月に一度は担当させていただき、礼拝後1時間半かけて車で向かったのです。その奉仕を通して、聖礼典執行の必要性を痛感していました。
ただし、この「補」教師と「正」教師という区分は、戦時中の政府の圧力によって合同した際の産物であり、同じ教師でありながら補教師は聖礼典を行えないという現行の制度は、歴史的にも万人祭司というプロテスタント神学的にも大きな矛盾を抱えています。九州教区もこの課題に真摯に取り組み、教団総会で問題提起を続けています。また、あえて「補教師」に留まり続けている牧師たちもおられることも覚えていきましょう。(有明海のほとり便り no.286)