大江健三郎著『新しい人よ眼ざめよ』

3月に召された大江健三郎のことを先週書いたところ、ある信徒さんから『「新しい人」の方へ』という本があることを教えていただいた。子どもたちに向けた言葉遣いで書かれている、人生の習慣についてのエッセー集(2003年出版)で、あいにく読んだことがなく、早速取り寄せることにした。

まだ読んでいないので確かなことは言えないが、大江が言っている「新しい人」とは、おそらくブレイクの詩から採っている。なぜなら先週紹介した『宙返り』の次によく読んだ『新しい人よ眼ざめよ』(1983年出版)を思い出したからだ。大江の長男にあたる光(ひかり)さんは知的ハンディキャップと共にありつつ、作曲家として活躍している。大江の小説には光さんをモデルとしたであろう人物が様々な名前を持って出てくる。『新しい人よ眼ざめよ』は、「イーヨー」という名前で出てくる光さんを中心とした家族の物語となっている。

物語の終盤に、はじめての寄宿舎生活から戻ってきたイーヨーが夕飯の食卓に誘われた際、それを固辞する場面が出てくる。まわりの家族は困惑する中、弟だけが理解し、「イーヨー」ではなく本当の名前「光さん」と呼びかける。するとその呼びかけを受け入れた光さんと弟の二人が肩をくんで食卓へとやって来る。それを見た大江はブレイクの『ミルトン』という詩を思い起こす。

Rouse up, O, Young Men of the New Age! Set your foreheads against the ignorant Hirelings!
めざめよ、おお、新時代の若者らよ!無知なる傭兵どもらに対して、きみらの額をつきあわせよ!…「生命の樹」からの声が人類みなへの励ましとして告げる言葉を、やがて老年をむかえ死の苦難を耐えしのばねならぬ、自分の身の上にことよせるようにして。 

人生の励ましに満ちており、ぜひ読んでいただきたい一冊。(有明海のほとり便り no.312)

大江健三郎著『宙返り』

大江健三郎が召されたと知って、ショックを受けた。いまだに、どうこの思いを処理したらよいのか、よく分からない日々が続いている。

まず手にしたのは、文芸雑誌『新潮』5月号。「永遠の大江健三郎文学」という特集が組まれており、3月に召された大江健三郎に12名の方たちが追悼文を寄せている。改めてわたしにとって、大江健三郎はなくてはならない日本文学者の一人で、いやなくてはならない「たった一人」かもしれない。

『宙返り』という文庫本が2002年に講談社から出ている。本屋でたまたま目にしたその文庫を開いてから、わたしの中にあった「小説」観が大きく変わった。自分が欲していた「物語」がここにあったのだ。

小さな頃から教会に通い、高校でも全寮制のキリスト教が基盤にある生活を過ごしていたわたしは、どこか日本社会の中で「少数者」であることを痛感もしていた。魂の問題に関して、日本社会はどこまでも曖昧さをもち、応えていないように感じていた。そんなわたしのモヤモヤが、『宙返り』を読んだ時に一気に開いていったのだ。

『宙返り』は、元カルト集団に焦点を当てて物語が進んでいく。登場人物たちの間で、ずっとテーマとして出てくるのは、ヨナ書だった。神学校の旧約の授業でヨナ書に関してのレポートを求められた際、正解と思われる神学書等からの引用のまとめはせずに、あえてこの『宙返り』を軸に自分なりに論を展開したことがあった。当然ながら、M先生からは渋いコメントだったが…。

『宙返り』以来、大江作品を貪るように読んだが、最も繰り返し読んだのは『宙返り』だった。あまり評価されていない作品に感じるが、一読の価値はあるので、ぜひ図書館などで探してほしい。(有明海のほとり便り no.311)

九州教区教会幼稚園・保育園設置者・園長会

キリスト教保育連盟は主にプロテスタントの幼・保・こが集まる教派を越えたネットワークです。明後日の九州部会総会で次の担当地区へと役員を引き継ぐことで部会長の任期終了です! コロナ禍の2年間でしたが、特に共に役員をして下さった方たちとの出会いは、かけがえのないものでした。これまでのお支えとお祈りに感謝いたします。

さて、九州教区に連なる幼・保・この中には、キ保連に所属しない園も多くあります。そういった園は「日本キリスト教保育所同盟」といって保育園が中心となるネットワークに属していたりと、様々です。

九州教区に連なる幼・保・こへ年に1回呼びかけての設置者・園長会を、教区では大切にしてきました。普段のネットワークを越えて、教会付帯施設としての労苦を分かち合ってきたのです。けれどもコロナ禍で、3年間行うことが出来ませんでした。

教区内乳幼児施設の繋がりが年々重要になっていることを、牧師園長として痛感しています。少子化における需要と供給の逆転、教会員の高齢化、園長に求められる資質の多様化など、課題が尽きない中で、教区内でも2園が今年度一杯で閉じることを決定したことを総会で知りました。両園とも荒尾教会・山鹿教会と同じ小さな地方教会が建てた園です。そこに注がれた祈り・奉仕・献金はいかばかりであったでしょうか…。待ったなしの状況が目の前に迫ってきています。

2023年度・2024年度の九州教区園長会の担当が熊本地区となり、牧師が事務局を担うこととなりました。霊泉幼稚園園舎建築と重なりますが、少人数でも温かい交わりと祈りの場となることを願っています。(有明海のほとり便り no.310)

教区総会を終えて

久しぶりの「フル日程」教区総会が福岡中部教会で開かれました。

主に3つの議案が可決されました。「九州教区宣教基本方策制定に関する件」に関しては、素案作成に伝道センター委員として携わりました。基本方針をもとに制定する基本方策は2年毎に振り返り話し合います。今までの方策に加えて「カルト問題」「気候変動」「排外主義」「格差」の課題が加わりました。政治と宗教は違うという意見もありましたが、それぞれ<いのち>に直結する課題であり、キリスト教会が取り組むべき課題です。各個教会ではなし得ないことを、教区において取り上げていく必要性を強く感じました。

「新たな大規模災害に備える件」では、「熊本・大分地震」救援対策本部を閉じると同時に、新たに「エルピスくまもと運営小委員会」と「災害対応準備小委員会」が立ち上がりました。特に「エルピスくまもと」に関しては、武蔵ヶ丘教会がセンターとしての責任を担って下さいます。また、幼稚園では軽トラをお借りしています。中長期支援へ入っている被災者支援を覚え続けていきましょう。

「日本の軍事大国化に反対し、平和を求め続けることを表明する件」では、防衛予算を倍増して軍備増強へと突き進む日本政府に対して反対し、平和を求め続けることを決議しました。「戦争責任告白」にあるように、太平洋戦争で犯した罪を告白し、「見張りの使命」が託されています。

また、互助献金への参加教会が少しずつ増えて来ていますが、まだ目標金額には届かず、経済的にとても苦しい教会や牧師家族がおられます。九州教区では神学的・歴史的な違いなどを越えて、祈り支え合っています。引き続き、荒尾教会でも互助献金を捧げていきましょう。(有明海のほとり便り no.309)