イエス推し

10月の『信徒の友』の特集「推し活!」が目を引きました。『信徒の友』は、わたしの勝手なイメージでは真面目で穏やかな信仰生活を支える月刊誌のように感じていたので、このようなテーマは久しぶりで、早速読ませていただきました。縄文推し、ディラン推し、ホヤ推し、コナン推し、カブトムシ推し、書道推し、三浦綾子推しなど、一概にキリスト者と言っても、その興味関心の幅は、一般の人と変わらず幅広いことを再確認しました。

興味深かったのは、早稲田教会の古賀博牧師が「そもそもクリスチャンはイエス推し」と題して「推し活」について論じている文章です。古賀牧師は、特にコロナ禍において推し活に励まされた面があったことを指摘しています。

あるテレビ番組で、心理学者が推しや推し活について語った内容は、私の心に深く残りました。「推しの存在や推し活という行為は、どんな時にもその人に大きな喜びを与える。苦境に立たされたり、厳しい状況の最中に置かれても、推しを思うことで、人は繰り返して勇気と励ましを得ることができる」というのです。

「キリスト者(クリスチャン)」という呼び名は、もともとは自分たちで付けたのではなく、周囲の人々から侮蔑のニュアンスを込めて付けられました。

「キリスト漬け」「キリストマニア」「キリストおたく」たちの自主的で熱心、そして喜びをもっての証しが、同信の仲間を起こしていきました。この人たちは、いわば「イエス・キリスト推し」だったのであり、その人々の推し活が異邦人伝道を推し進めました。

推しも熱狂しすぎると問題がありますが、押し付けがましくなく、喜びをもって「イエス推し」を広げていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.328)